1940年10月、太平洋戦突入前の倉敷天文台で「岡林・本田彗星」を発見した岡林滋樹氏は、本田氏と同じく軍の任務として、スマトラ島に派遣されていた。兵士ではなく、地質調査が目的であったという。 終戦の近くなった1944年4月、岡林氏の乗った「阿波丸」は南支那海を一 ...

 天文学は大戦中と言えども、世界のどこかにセンターをもうけて情報を伝えていた。従って、新しい天体が発見されると、まずセンターに通報し、そしてセンターから国際天文学連合に加盟している国の天文台に国際電報で知らせた。日本では東京天文台(今の国立天文台)が中心 ...

 木曽福島の駅から列車に乗り違えた私たちは、車掌さんの親切な取り計らいで、次の停車駅からすぐ名古屋に引き返すことになった。どうやら、今日中に帰宅できそうであった。私も本田さんも帰宅すれば、すぐ今夜の観測が待っていた。列車は次の塩尻までの2時間を快速に走り続 ...

 もう今から30年も昔になるだろうか。東京で天文学の会合があっての帰り、本田実氏と木曽の天文台を訪ねたことがある。ここには天体捜索用の大口径シュミット望遠鏡があって、国立天文台の職員が作業していた。 私たちはその様子を見学し天文台に宿泊して、翌日職員の車で ...

1940年10月、「岡林・本田彗星」を発見した本田実氏は翌年軍に応召して大陸に向かった。当時は日中戦争のさ中で、太平洋戦争勃発の前夜でもあった。本田さんは上等兵として軍務についたが、それは露満国境の警備であった。  国境には日本光学製の口径25cmの大型双眼望遠鏡 ...

 私が”本田彗星”の名を初めて知ったのは終戦後間もない1948年12月だった。地方紙に「また彗星発見」という見出しで小さく報道されていた。当時のGHQの統治下にあった日本では政治的な事件が多く、科学的なニュースはあまり大きく取り上げられなかった。 当時高校2年生だ ...

 私が小学校高学年の頃には、ハレー彗星は太陽系の遠日点の近くにあった。しかし1910年のハレー彗星の印象が物凄かった影響で、その頃の少年少女向きの小説に度々彗星が登場した。海野十三作の「火星兵団」なんかその最たるものであった。世界大戦前の、日本が海外に進出し ...

 ハレー彗星発見のニュースを聞いて、いち早く立ち上がった人の中に埼玉県に住む鈴木健夫さんがいた。もともとギタリストで、自宅でささやかな楽器店を経営していた。その鈴木さんが「ハレー彗星をフォークソングで歌いたいので、作詞してほしい」と言ってきた。関勉作詞、 ...

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