まだ気象台の発表はありませんが、四国地方は梅雨が明けて本格的な夏空がやってきました。これからの星空では天の川の綺麗な時期が続き、流星の多く見える季節を迎えます。都会に在って、天の川を見たことのない人も多いかと思いますが、山や海に行って、キャンプする人はぜ ...

私の家は大正年代から存続している古い家です。その物置にひっそりと眠っていた額入りの写真は一体何者なのか?その風貌を見たとき、一瞬「新撰組」の局長、近藤勇の姿を想像しました。精肝な面持ちで、口元の引き締まった所は良く似ています。その頃、母から関家には「琴堂 ...

太平洋戦争中の1945年7月、爆撃によって〝火の川”となった鏡川です。B-29の落下を目撃した場所でもあります。大火を逃れて川を南に渡りました。昔は坂本龍馬も泳いだ川だそうですが、私も小学生のころ、家から水着姿でやってきて水泳の練習をしました。戦前のロスアンゼルス ...

自宅の片隅にある、滅多に入ったことのない物置の珍しい品物を見ていた私は、棚の奥に古めかしい封筒に入った絵ハガキを発見しました。めくってみると、それはなんと1910年(明治43年)に東京天文台が発行した三枚一組のハレー彗星の絵葉書でした。(こんなものがどうして? ...

去る1986年に回帰したハレー彗星は、比較的地球から遠いコースを選んだので、世界の人々を「アッ」と言わせるほどの大彗星にはならなかったのですが、その前の1910年の時には、同年の5月13日に彗星が太陽面を通過するという珍しい現象が起こりました。この時の様子を当時のA ...

最近の七夕祭りではほとんど晴れた記憶がありません。しかし、私たちが子供のころは、各家庭でお祭りを行い、いつも短冊を吊るした竹の上には青い七夕星が輝いていました。当時は旧暦の七夕様で、8月中旬から下旬頃の晴れた日が多かったのです。夜風に竹に吊るした短冊がサラ ...

空襲の後は夜っぴて歩いて、朝倉、米田の山本家にたどりつきました。ここで実は8月15日の終戦の日まで、お世話になることになったのです。高知市は大空襲から三日間燃え続けました。7月5日の午後、私は7キロほどの道を歩いて、我が家の様子を見にいきました。自宅の工場 ...

私たち一家は、火災が始まると壕の中は却って危険な為、家を後にして南の「鏡川」に向かって逃げました。背後には巨大な火柱が立って、天の雲をも焼き払わんばかりの勢いでした。高空と地上では焼夷弾の炸裂する音が、ひっきりなしに耳をつんざかんばかりでした。鏡川の岸に ...

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