とっくに梅雨に入っているのですが、高知県では、いわゆる梅雨のなか晴の日も多いようです。昨夜はすこし降っていたかと思うと、今日は朝から快晴となりました。青空にはまるでホウキ星の様な雲がいくつか並んでいます。四国一の霊峰「石槌山」標高約2,000mでは7月1日がお ...

 山本一清博士の主催する、国内第1回の「彗星会議」に参加して博士にはじめてお目にかかったのは今から遠く1954年夏の事であった。 「彗星会議」は委員会の形を取り、国内の学者や研究者約30人が参加したが、若干24歳の新前の私が参加できたのは奇跡であった。これは「い ...

 天文の教育施設としてのプラネタリウムは、いま全国各地に存在するが、終戦後の1950年頃には東洋に1基しかなかった。大阪四ツ橋の「電気科学館」のそれである。プラネタリウムは当時修学旅行生なんかに大の人気で、私が高校生のころから星の同好者として親しんでいた岡田 ...

 古くからの私の星の友人に池幸一君と言う人がいた。 彼は、戦後の本田さんの大活躍に刺激されたコメットハンターでもあった。新発見こそなかったが、1965年10月の「イケヤ−セキ彗星」が、近日点を通過した時、危険なことを承知しながら、太陽にくっつきながら公転する彗 ...

 ニュースで「タイタニック号」観光の小さな潜水艇が深海で遭難したことを知った。その時思い出したのが、海難救助艇の「荒天号」の事であった。これは全長20mの潜水艦で、今から70年も昔に、高知市の一発明家によって考案製作された。それが東亜天文学会の1青年会員だった ...

 1960年頃だった。NHKのテレビ番組に「あなたの椅子」と言う、人気番組があって出演した。変わったことをする3人組ということで、一人は絶滅したと言われる”日本狼”を、奈良県の山中に追いかける男。もう一人は”オートジャイロ”と言う、手製の小型飛行機にまたがって関 ...

 日本では、大昔から時刻を知るのに、様々な日時計が使われたのは周知のとおりである。土佐24万石の山内家の殿様の居城「高知城」には、お昼を知るための紐を使った「正午計」があった。高知市の海岸「種崎」には、比較的新しい巨大な日時計があった。また安芸市には明治時 ...

 1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。 ...

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