日本では、大昔から時刻を知るのに、様々な日時計が使われたのは周知のとおりである。土佐24万石の山内家の殿様の居城「高知城」には、お昼を知るための紐を使った「正午計」があった。高知市の海岸「種崎」には、比較的新しい巨大な日時計があった。また安芸市には明治時 ...

 1964年5月、東京天文台に打電した「イケ−セキ彗星」はその後どうなったのか?天文台から帰ってきた電報は意外なものでした。「カンソクサレタスイセイハ コップスイセイデス トウキョウテンモンダイ」 これで、我々の発見した彗星が新彗星ではないことが判明しました。 ...

 奇妙な名称の天体カメラが登場しました。高知市から西に20kmほど離れた「土佐市高岡町」に住んで、古くから電気業を営む池幸一氏は大の天文好きでした。1956年の私のクロムメリン彗星の独立発見に刺激されて彗星の捜索を密かに実行していた人です。 彼は眼視より写真捜索 ...

 中浜万次郎が漁業中に遭難して鳥島に流れ着いたとき、アメリカの捕鯨船「ジョンホーランド号」が現れて助けられ、万次郎はアメリカに向かった。1843年の事で、船が南米のホーン岬を通過するとき、南の空に巨大なホウキ星が見えた。これが有名な”3月の大彗星”と呼ばれるホ ...

 ここ高知市の鏡川のほとりの土手に、アメリカの飛行士「フランク チャンピオン」の記念碑が立っている。日本では、まだ飛行機の珍しい大正時代(1917年10月30日)に高知市の上空にやってきて、数々の曲芸飛行を観せた。高知市朝倉の陸軍の広い練兵場の上空で、当日は10万人 ...

 戦前の彗星発見者には、アメリカ太平洋天文学会が発行する「ドノホウ メダル」が授与された。日本では本田実氏を初めとして、古くは山崎正光、下保茂、岡林滋樹氏らの発見者がもらった。メダルの表面には美しい彗星の姿が彫刻されていた。戦後になって、いったん廃止され ...

 本田さんがカラーで撮影して下さった「関彗星1961 T1」は、発見後次第に地球に接近してきて明るく大きくなった。そして10月の下旬には0.1天文単位と地球に大接近し、満月の大きさとなって一晩に30度以上も動いて南下した。あまりにも急速な運動だったために一旦見失ったが ...

 1955年の「ホンダ彗星」以来の6年ぶりの国内での彗星発見に、天文台は興奮した。東京天文台から次のような丁寧な返電がきた。 「スイセイハッケン オメデトウゾンジマス クラシキデカクニンノウエ コペンハーゲンニシラセマシタ」 電報を発進したのは、天体掃索部の下 ...

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