彗星と小惑星の軌道計算に習熟していた村岡氏は、特に周期彗星の回帰の予報に熱心であった。ハレー彗星の76年やエンケ彗星の3年の様に、回帰周期は計算されていても、回帰する度に多少のずれを生ずる。無論多くの惑星の引力の影響(摂動)を加算しても、彗星によっては非重力効果という力が働いて、周期を多少狂わす。つまり彗星は常に活動してガスを噴出しているので、その反動「ロケット効果」によってわずかながら周期が変化するのである。

 村岡氏は、その研究に卓越した才能を持っており、彼の発表する多くの周期彗星には、その研究がとり入れられた。関ー村岡コンビによる成果の一つを紹介しよう。
 芸西天文台が完成して間もなくの1984年12月、24P(ショーマス周期彗星)が帰ってくるはずだった。例によって軌道計算の大御所、マースデン博士の位置予報が発表され、当時精力的に周期彗星の捜索に当たっていたアメリカのスコッチが大型望遠鏡を向けた。片や芸西では、村岡氏の独自の研究に従って私が60cm反射望遠鏡を向けた。両者の位置の差はわずかであったが、非重力効果の正しく加算された村岡氏の計算の方に軍配が挙がったのである。

 村岡氏は、彗星の軌道研究ばかりにこだわるのではなく、一方では大きな希望をもっていた。それは冥王星の更に外側を回る、新惑星の発見ということであった。その頃は、まだ冥王星が正規の惑星として認められていた。村岡氏は海王星の理論的発見に非常に興味をもっていた。彼は今のパソコンを使って、フランスのルヴェリエの計算を踏襲してみた。そしてその計算に多少のミスがあったことを発見したという。これは素晴らしい研究である。

 村岡氏は冗談に言った。「そのうち特殊な方法に基づく新惑星の捜索予報を計算します。出来れば芸西で発見して下さい」と。
 私は応えた。「天才、村岡君ならそれはできるでしょう。もし成功すれば、天文学上の今世紀最大の発見になるでしょう。位置予報を待っています」と。

 新惑星の捜索予報は来なかった。その代りに来たものは「村岡健治死す」の、あまりにも悲痛な逝去の報せであった。かくて天才村岡君は逝った。享年55歳。沢山の仕事を残した、惜しまれる死であった。
(写真は蒼いイオンの尾を見せる1996年の”百武彗星”)
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