高知県の天文台のある芸西村も、物凄い暑さです。熱中症にかかるのは人間だけではなく、天体望遠鏡までかかりました。芸西天文台の口径70cmの天体望遠鏡がドームの中の、摂氏40度以上の熱気の中で、大事な光路の部品を固定する接着剤が溶けて剥がれ、観測不能となりました。いま京都のメーカーが修理にきており、この25日に回復する予定です。
皮肉にも、いまは夏休みの最も天文台が活躍しなくてはならない時期で、夜空に赤い光を放って大接近してくる火星を、ただ手を加えて眺めています。しかし、集まった毎日数十名の子供たちは、望遠鏡の製作ごっこに夢中になっています。いまこの時期に行う”望遠鏡作り”です。口径40mmの対物レンズと鏡筒を、設計図に従って講師の指導の下に組み立て、夜になるとそれで火星を見る。そして極冠や運河を発見する。こんな素敵なことはありません。
私も子供のころ、老眼鏡のレンズと虫眼鏡を使って15倍ほどの天体望遠鏡を製作しました。いま思えば、それがその後の彗星発見の原点となったのです。設計図も、星図もない不便な時代に、暗中模索しながら努力した若い頃が懐かしいです。お金さえ出せば、便利なものが何でも手に入る今の時代とは違っていました。何事にもくじけない熱意と忍耐。それは、科学するこれからの子供たちに必要なことです。
(写真は、自宅の屋上から見た夏雲)
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皮肉にも、いまは夏休みの最も天文台が活躍しなくてはならない時期で、夜空に赤い光を放って大接近してくる火星を、ただ手を加えて眺めています。しかし、集まった毎日数十名の子供たちは、望遠鏡の製作ごっこに夢中になっています。いまこの時期に行う”望遠鏡作り”です。口径40mmの対物レンズと鏡筒を、設計図に従って講師の指導の下に組み立て、夜になるとそれで火星を見る。そして極冠や運河を発見する。こんな素敵なことはありません。
私も子供のころ、老眼鏡のレンズと虫眼鏡を使って15倍ほどの天体望遠鏡を製作しました。いま思えば、それがその後の彗星発見の原点となったのです。設計図も、星図もない不便な時代に、暗中模索しながら努力した若い頃が懐かしいです。お金さえ出せば、便利なものが何でも手に入る今の時代とは違っていました。何事にもくじけない熱意と忍耐。それは、科学するこれからの子供たちに必要なことです。
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