今から10年以上も昔になる。日本のすばる望遠鏡が完成して、一度は見学したいと思っていたマウナケア行きが実現した。私たちが所属する東亜天文学会が企画した見学会で、芸西天文台から私を含めて3人の講師が参加した。
当時、世界最大だった口径8mのすばる望遠鏡にも興味は大いにあったが、標高4200mを誇るマウナケアの山頂の星はどんなものか、大いに興趣をそそられたのであった。巨大なドームの中の望遠鏡はあまりに大きすぎて望遠鏡という気がしなかった。夜はヒロ市のタクシーを雇って、再び山上にあがった。
標高4200mの山上から天文台の見える北方の星空である。左の端にすばる天文台。その右にケック1、ケック2と天文台のドームが続いている。更に遠方にハレアカラ火山が見える。沢山の星に交ってただ一つの人口の灯である。右の端に北斗七星の一部の2等星が見えているが、この星の多さは格別である。ここで彗星の捜索をしたら、一晩で見つかりそうな気がした。
南の天の川も凄かった。日本と緯度が違うので星座が分かりにくかったが、さそり座の南は初めて見る星座が出ていた。一番熱い8月の上旬というのに、10分も見ていると物凄い寒さが襲ってきて、車の中に逃げ込んだ。宿舎のあるヒロ市は雨が降っている。しかしマウナケアの頂上はいつも星月夜であろうか?星があまりに多すぎて、普段見慣れている星座がなかなか見つからなかったという印象である。
芥川龍之介の小説「杜子春」で、主人公の青年が仙人のほうきに乗って「峨眉山」の頂上にやって来たとき「ここはよほど高い山と見えて、北斗の星が茶碗の大きさ位に光っていました」という下りがあるが、山が高いから星が近く大きく見えたというより(作者はそういう意図で書いた)現実には、空があまりに澄明なために恒星が明るく大きく見えたのである。このことがマウナケアを経験することによって、初めて分かったような気がした。


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当時、世界最大だった口径8mのすばる望遠鏡にも興味は大いにあったが、標高4200mを誇るマウナケアの山頂の星はどんなものか、大いに興趣をそそられたのであった。巨大なドームの中の望遠鏡はあまりに大きすぎて望遠鏡という気がしなかった。夜はヒロ市のタクシーを雇って、再び山上にあがった。
標高4200mの山上から天文台の見える北方の星空である。左の端にすばる天文台。その右にケック1、ケック2と天文台のドームが続いている。更に遠方にハレアカラ火山が見える。沢山の星に交ってただ一つの人口の灯である。右の端に北斗七星の一部の2等星が見えているが、この星の多さは格別である。ここで彗星の捜索をしたら、一晩で見つかりそうな気がした。
南の天の川も凄かった。日本と緯度が違うので星座が分かりにくかったが、さそり座の南は初めて見る星座が出ていた。一番熱い8月の上旬というのに、10分も見ていると物凄い寒さが襲ってきて、車の中に逃げ込んだ。宿舎のあるヒロ市は雨が降っている。しかしマウナケアの頂上はいつも星月夜であろうか?星があまりに多すぎて、普段見慣れている星座がなかなか見つからなかったという印象である。
芥川龍之介の小説「杜子春」で、主人公の青年が仙人のほうきに乗って「峨眉山」の頂上にやって来たとき「ここはよほど高い山と見えて、北斗の星が茶碗の大きさ位に光っていました」という下りがあるが、山が高いから星が近く大きく見えたというより(作者はそういう意図で書いた)現実には、空があまりに澄明なために恒星が明るく大きく見えたのである。このことがマウナケアを経験することによって、初めて分かったような気がした。


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