時は今から遠く、明治31年2月1日、午前5時。高知県土佐郡大川船戸では突然真夜中の空が、昼間の如く明るくなった。そして、その5分後に大砲数発をぶっ放すような大音響が天地を揺るがし、多くの人が驚いて外に飛びだしたという。大川村の目撃者によると、東南の方角に人頭大の赤い火の玉が現れて、ゆっくりと落下した。

 一方ここより50キロほど東南に離れた香美群在所村では、同日の午前4時頃、同様の大音響がして火の玉が落下し、物部川沿いの農家の庭に大穴をあけた。時刻が異なるために落下した隕石は二つに見えるが、当時は日没によって生活していた時代で、正しい時刻の観念がなかった。

 石は"天降石”と呼ばれ、地元の人がある宗教に預けて祭ってあったが、間もなく石の買い手が現れた。その人物こそ、のちの五藤光学を興した五藤斎三氏であった。その当時の事が地元の土陽新聞(今の高知新聞)に「石を300円で買う大馬鹿者現る!」という見出しで報道されたという。いまなら30万円?隕石はその後、高松市の五藤氏の家に飾られていたが、1945年7月の大空襲で焼失。しかしその数か月後に焼け跡に光っているのが発見されたという。

 私はこの珍しい石鉄隕石を、東京世田谷の五藤氏の御宅で見たことがある。立派なガラス張りのケースに収められてあった。その後研究のために上野の科学博物館で三分の一ほど切り取られて、博物館所有物になったという。五藤氏の予期しなかったことである。
 数奇な運命をたどってきた隕石であるが、本体は今は五藤氏の家には存在しないという。

 高知市に”みらい科学館”が完成した時、四国唯一の隕石として展示したら、、、という声もあったが、今は何処に存在するのか謎である。高知県香美郡香北町の隕石落下の地に、五藤氏が立派な記念碑を建てた。今も県外から多くの見学者が絶えないという。

(写真は五藤氏が買い取った当初の在所隕石で、ペン先と大きさの比較)
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