戦後73年目の夏で、今では戦火の跡を発見する事が難しくなったが、ある日鏡川のほとりを散歩しての帰り道、道端の家の庭にふと奇妙なものを発見した。どうやら爆弾の破片らしい。長い歳月を経て赤さびた鉄は、わずかに原型をとどめている。

 1945年7月の高知市大空襲には二種類の焼夷弾が使われた。その一つは木造建ての多い日本の都市用に開発された"親子焼夷弾”で、親爆弾が高速で回転しながら落下し、地上100m位の上空で爆発する。中の36個の子焼夷弾は、回転の遠心力で空中に広く散布されて落ちてくる。直径が約12cm、長さが50cmくらいの六角筒で、これが日本瓦の屋根を突き破って天井裏や、畳の上で火を噴くのである。

 もう一つは25kgの焼夷爆弾で、これは地上で大きな爆発を起こして油脂が飛び散るのである。破壊力が大きいので我々は極度に恐れていた。そこの家の庭に置いてあった破片は明らかにこの焼夷爆弾の残骸である。
 
 私たち一家は空襲が始まった時、いち早く壕を抜け出して、南の鏡川に逃れた。家族はちりぢりになったが、この時「ザーッ」という落下音がしてきて思わず地に伏せた。大きな爆発音とともに、私は吹き飛ばされ、破片がそばの塀を突き破った。
 立っていたらお陀仏になっていただろう。そういえばここは落ちた現場のすぐ近くである。(あの時、私を襲った爆弾はこれだったかもしれない!)
 私は爆弾の残骸のそばに立って、暫く遠い昔の回想に耽っていた。
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