スパイカメラとして大戦中に開発されたミノックスの名を知っている人は多いと思う。私がこの超小型の精密カメラに出会ったのは、今から遠く1949年頃の事であった。当時、写真研究家として有名だった吉川速男氏の書かれた本で知った。画面サイズはわずかに8x11mm。ライターほどの小さなボディで5万円もした。当時1台で家が建つと言われたドイツのライカに次ぐ高価な値段であった。
初期のミノックスはバルト3国の1つ、地中海に面したラトビアのリガで生まれた。ロシアの支配下にあって、設計者のザブは危険を冒して西ドイツに逃れた。ここで本格的な生産が始まった。11ミリ幅のフィルムで50枚撮り。大戦中は敵国の軍港や軍需工場などの盗撮に、また戦後は産業スパイの目的に使用された。
ミノックスカメラは初期のA型からLXまで5つのバリエーションがあるが、私が初めて入手したのは1970年頃の、露出計の付いたC型のブラックであった。いつもポケットに入れて日常よく使った。1986年、頭上にハレー彗星の輝くころには南のバリ島やニューカレドニアでも活躍した。ある先輩のご葬儀では、拝みながら祭壇での最後のお姿を、誰にも気ずかれずにパチリと記録した。またある時には散歩中に遊園地の片隅で発見した猫を撮影し、むかしいなくなった飼い猫でないか家族で鑑定した。
往年のスパイカメラも、今ではこうした日常の平和な目的に活躍しているのである。天文では、突然降り出した正体不明の流星群に遭遇し、タイム露出の機能を生かして記録するなど、正に小型ながらカメラとしての完璧な機能を搭載している。今ではデジカメの様な怪物が現れたが、いつも私の体のどこかにミノックスがダニの様に潜んでいて、千歳一遇のチャンスを狙っているのである。
(写真は旅の途中で見た関門海峡。ミノックスクラブの写真展に出品した)
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初期のミノックスはバルト3国の1つ、地中海に面したラトビアのリガで生まれた。ロシアの支配下にあって、設計者のザブは危険を冒して西ドイツに逃れた。ここで本格的な生産が始まった。11ミリ幅のフィルムで50枚撮り。大戦中は敵国の軍港や軍需工場などの盗撮に、また戦後は産業スパイの目的に使用された。
ミノックスカメラは初期のA型からLXまで5つのバリエーションがあるが、私が初めて入手したのは1970年頃の、露出計の付いたC型のブラックであった。いつもポケットに入れて日常よく使った。1986年、頭上にハレー彗星の輝くころには南のバリ島やニューカレドニアでも活躍した。ある先輩のご葬儀では、拝みながら祭壇での最後のお姿を、誰にも気ずかれずにパチリと記録した。またある時には散歩中に遊園地の片隅で発見した猫を撮影し、むかしいなくなった飼い猫でないか家族で鑑定した。
往年のスパイカメラも、今ではこうした日常の平和な目的に活躍しているのである。天文では、突然降り出した正体不明の流星群に遭遇し、タイム露出の機能を生かして記録するなど、正に小型ながらカメラとしての完璧な機能を搭載している。今ではデジカメの様な怪物が現れたが、いつも私の体のどこかにミノックスがダニの様に潜んでいて、千歳一遇のチャンスを狙っているのである。
(写真は旅の途中で見た関門海峡。ミノックスクラブの写真展に出品した)
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