龍馬の母「幸」は、その夜悪夢を見ていた。暗い部屋の中に、突然「竜」と「馬」が一緒になって飛び込んできた。竜馬が生まれる前の夜の出来事であった。その頃、ここ上町の空には連日、大きな彗星が輝いていた。1835年のハレー彗星の接近であったが、その頃西洋では彗星を天体と思わず、一種の気象現象と考えていたという。まして文化の遅れた日本では、長い尾を引く彗星を、空を舞う怪物「竜」と見て、恐れていたのである。
龍馬が生まれた頃のハレー彗星の明るさについて、福島県の佐藤裕久氏は調査し、最大マイナス2等の明るさに輝いたという。マイナス2等とは金星に次いで明るい木星の明るさに匹敵する。世間は騒いだ。無論「幸」もこれを見た。その恐怖が悪夢となって襲ってきたのである。
しかし、気の強い幸は、空を舞う”竜”を見て、勇ましいと思った。やがて生まれて来たわが子に、竜の如く世間を股にかけて活躍することを願って”竜馬”と名付けたのである。これは大胆な私の憶測であるが、幸の見た悪夢の原因がハレー彗星であったことはまず間違いはない。「竜馬」の名は彗星から来たのである。
龍馬の誕生した年から76年後の1910年(明治42年)にもハレー彗星は出現した。そして、大接近して地球はハレー彗星の尾の中を潜ったという。この年には、マスコミが大いに喧伝したので、”世界の終りか”と世界的な大混乱が生じたのである。しかし龍馬が生まれた1835年(天保6年)の時には大々的に報道されることがなく、一般の記録として残らなかったのである。
1986年3月のある日、私は桂浜の龍馬の銅像の下に立った。東を見るとほうき星が輝き、龍馬の視線は折から接近中のハレー彗星を捉えていた。母、幸の願いの如く龍馬は幕末の日本を駈け巡り、新しい日本の誕生のために活躍した。そして今、龍馬の名付け役のハレー彗星との対面を果たしたのである。
「ワッハッハッハッハ、おまさんがハレー彗星かよ。流石でかいもんじゃのう!」と豪傑肌の龍馬の笑い声を聞いたような気がした。
(古代、大彗星接近の絵。殆どがハレー彗星であったと思われる)


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龍馬が生まれた頃のハレー彗星の明るさについて、福島県の佐藤裕久氏は調査し、最大マイナス2等の明るさに輝いたという。マイナス2等とは金星に次いで明るい木星の明るさに匹敵する。世間は騒いだ。無論「幸」もこれを見た。その恐怖が悪夢となって襲ってきたのである。
しかし、気の強い幸は、空を舞う”竜”を見て、勇ましいと思った。やがて生まれて来たわが子に、竜の如く世間を股にかけて活躍することを願って”竜馬”と名付けたのである。これは大胆な私の憶測であるが、幸の見た悪夢の原因がハレー彗星であったことはまず間違いはない。「竜馬」の名は彗星から来たのである。
龍馬の誕生した年から76年後の1910年(明治42年)にもハレー彗星は出現した。そして、大接近して地球はハレー彗星の尾の中を潜ったという。この年には、マスコミが大いに喧伝したので、”世界の終りか”と世界的な大混乱が生じたのである。しかし龍馬が生まれた1835年(天保6年)の時には大々的に報道されることがなく、一般の記録として残らなかったのである。
1986年3月のある日、私は桂浜の龍馬の銅像の下に立った。東を見るとほうき星が輝き、龍馬の視線は折から接近中のハレー彗星を捉えていた。母、幸の願いの如く龍馬は幕末の日本を駈け巡り、新しい日本の誕生のために活躍した。そして今、龍馬の名付け役のハレー彗星との対面を果たしたのである。
「ワッハッハッハッハ、おまさんがハレー彗星かよ。流石でかいもんじゃのう!」と豪傑肌の龍馬の笑い声を聞いたような気がした。
(古代、大彗星接近の絵。殆どがハレー彗星であったと思われる)


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