もう今から30年も昔になる。森本紅玉さんという夫人が突然訪ねてきた。知人ではないが、その頃、私は地方の新聞に星の話を連載していた関係で、何か質問があって尋ねて来られたと思う。森本さんは自称「作家」であるという事であったが、私は彼女の活動は知らなかった。

 要件というのは、その人のお父さんが明治時代の終り頃、土佐山田町で彗星を発見し午前3時に東京天文台に電報を打ったというのである。東京麻布の東京天文台からは「ソハ イノウエスイセイナリ」という返電があったが、父の発見した彗星の正体を知りたい、というものであった。”井上彗星?”私には全く心当たりがなかった。しかし、古い記録を調べていたら妙な記事が目に止まった。

 ☆明治36年(1903年)ノ事デアル。場所ハ東京市港区ノ天文台ニ近イ井上四郎氏ノオ宅デアル。コノ日、天体観測会ガ開カレテイタ。参加者ノ中ニハ井上氏ノ友人3人ノ他に、天文ノ詩人トシテ有名ナ野尻抱影氏モ居タ。「天の川」ノ美シイ7月中旬ノ事デ、レンズヲ覗イテイタ友人ノK氏ガ突然、「妙ナモノガ見エル! コレハ一体何ジャ?」ト叫ンダ。頓狂ナ声ニ驚イタ井上氏ハ代ワッテ覗イテミルト、ソコニハ短イ尾ヲ引イタ彗星ガ爛々ト輝イテイタトイウ。肉眼的ナ”ほうき星”デアル。
 「コレハ大変ナモノヲ見ツケタ! 天文台ニ電報シテクル」ト言ッテ急イデ家を出タト言ウ。コレガソノ時、東京天文台ニヨッテ”井上彗星”トシテ登録サレタモノデ、実ハソノ年ノ6月ニ、Marseillesノ”ボレリー”ニヨッテ既ニ発見サレテイタ新彗星デアッタ☆☆

 当時は今のような電子メールや、国際的な天文電報が無かった時代で、何か天文現象があっても、日本ではつんぼ桟敷に置かれることが多かった。船便でヨーロッパから3ヶ月ほどかかってニュースが届いたころには、既に勝負はついていたのである。土佐山田町の森本氏が発見した彗星は、そのボレリー彗星C/1903 M1であったと思われる。そのころ、この彗星は3等級で、1度余りの尾を引いていたという。

 井上四郎氏は、アマチュア天文家として、しばらく活躍していたが、のち東京天文台に入り、主に太陽の黒点観測に従事したと言われている。

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