1960年に我が家の屋上に、物干し兼用として設立された天文台は、1970年の「スズキ・サトウ・セキ彗星」が、最後の発見となった。1970年秋も深まった10月20日の事である。このころ「アベ彗星」というのが夕方の西南天に明るく見えていた。私はその彗星の観測を兼ねて、西南の空から北に地平線に沿って捜索していたところ、突然7等級の明るい彗星を発見した。国内では5名の同時発見者があったが、発見時刻の早いもの順に複数の名がつけられたのである。即ち(Comet C/1970 U1)鈴木・佐藤・関彗星である。

 明るい新彗星は私の調査によると、その大半が地球の軌道と逆行して、太陽のあちら側から突っ込んでくるのが多い。したがって、太陽のそばに突然明るく現れるのである。これに対して、夕空に現れる彗星は、遠くにあるものが徐々に明るくなって発見されるもので、どちらかというと大型の望遠鏡を使っているプロの発見が多いのである。

 私の物干し天文台は、1970年の発見を最後に、その長い歴史を閉じた。1972年には、高知市の光害を避けて、安芸郡の芸西村に移転したからである。捜索の主力機はニコンの12cm双眼望遠鏡であったが、彗星の位置確認用として口径40cmの反射式赤道儀が加わった。そして、周期彗星を始め眼視では確認できない暗い天体を求めての新しい世界が展開して行くのである。

 その頃の芸西村の空は暗かった。春の夕方と秋の明け方に見える黄道光は無論、国内では観測困難とされる夜半の対日照の怪しい光芒まで、ありありと見えたのである。その後この地で多くの周期彗星の検出や、小惑星を発見することになる。

(写真は当時使用していた口径22cmの自作反射望遠鏡で撮影した”鈴木・佐藤・関彗星”で、発見当初の写真であるが、撮影日時は不明)

スキャン


にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村