コメットハンターとは彗星を捕まえる人のことである。欧米には昔からコメットハンターがいて、それぞれ意匠を凝らした望遠鏡で、彗星をキャッチしてきた。永い歴史の中には奇特な人がいて財産を天文学会に寄付して賞金の制度をこしらえた。時代にもよるが、彗星を複数見つけたら家が建つほどであったという。近年はアメリカの富豪ドノホーによるメダル授与が有名で、賞金についてはわからない。名誉あるドノホーメダルは1950年頃まで続いた。

 戦前活躍した人にアメリカ、オハイオ州に住むペルチャーがいた。彼の本職は子供用の家具の設計師であるが、その特技を生かして、彗星捜索に極めて便利な観測台を自作した。その中に口径20cmの屈折望遠鏡を入れて、自動車のハンドル一つで楽に自由に全天が捜索できる装置を発明したという。アメリカの大学は彼にコメットハンターとしては異例の”名誉博士号”を贈った。1952年頃の話である。

 彼は10個以上の彗星を発見したが、晩年に発見した1952 M1は、太陽から遠く離れた北天こぐま座であった。日本では6月の梅雨の時期で誰も観測できず、しばらく行方が分からなかった。そんな時私が10cmの反射望遠鏡でキャッチし、山本天文台に報告した。10等級であった。ところが意外な反響があった。日本での本田氏に次ぐコメットハンターとして登録され、1954年に同天文台で開催された第一回目の彗星会議(委員会)に招かれたのであった。1952年のペルチャー彗星が、チャンスをつかむきっかけとなったのである。(24歳)

 その後のアメリカでの捜索界では、エバハート博士が台頭し、先に述べたマックホルツ氏がそれに続いた。学者(碩学)で、眼視の彗星捜索をした方は、このエバハート博士のほかにスカルナテ・プレソ天文台の台長を務めたベクバル博士やクレサク博士がいた。日本では戦前の下保茂氏(東京天文台)がいたが、大体学者はこの作業を敬遠した。
 写真のペルチャー氏はコメットハンターであると共に、優れた変光星の観測者でもあった。
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