マースデン氏やホイップル博士など、アメリカを代表する彗星の研究者のなかにエバハート博士がいた。彼は碩学であるが、珍しく彗星捜索に興味を持ち、特に19世紀に活躍したバーナード博士の多くの発見を検証した。そして独自の方法で彗星の捜索を開始した。

 エバハートの考案した、望遠鏡と椅子が一対になった奇妙な望遠鏡を見た星の出版社のD.ミロン氏は、「それはまるで死刑台の椅子じゃないか!?」とからかったという。二人は親友でもあった。彼は自論に基づく独特の捜索法で、見事にC/1964 P1とC/1966 R1の二つの発見に成功した。この時代は池谷氏を始めとする彗星捜索の戦国時代であった。1965年には”イケヤ・セキ彗星”が出現している。

 一方、アメリカの大手の科学雑誌(ナショナル・ジオグラフィック)の副社長のT.ビーアス氏は、この発見ブームに目をつけて日本に取材に来た。飛行機が日本に向かっていたとき、窓から美しい尾を引いた「イケヤ・セキ彗星」が見えていたという。彼は隣の座席のフランス人の婦人に、「あれをごらんなさい。ホーキ星です。これからこの彗星を発見した二人の日本人に会いに行くのです」と語ったという。

 同誌には冒頭、私が1ページにわたって発見記を書いた。その記事を東京天文台の若い女性台員が英文に翻訳した。見事な訳文が大変な反響を呼んだ。多くのコメットハンターが世界に台頭した。オーストラリアの雄ブラッド・フイールドも、その一人であったという。

 高知大学で英語を教える松並先生が目の色を変えてやってきた、「あの英文は一体だれが訳したのですか?余りにも見事なので英語の教科書として使う事にしました・・・。」と。多少の意訳が原文と違って、見事な文学の世界を作り上げたのである。

(写真は発見当初のエバハート氏とコメットシーカー。Denis Milon氏撮影。下は”ナショナル・ジオグラフイック・ソサイティー”の1966年2月号)

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