昔、戦時下の不景気な時代に「輪タク」という乗りものがあった。戦争のためにガソリンが無く、人や荷物を乗せた幌を自転車で引っ張った。中には自転車の横に人力車用の幌を取り付けて走った。私も子供のころに病院に入ったり駅に行くために利用した。結構早く、時速40kmくらいで走った。時局がら”国策ハイヤー”と呼んで、人気があった。

 土佐市に「幸一ちゃん」と呼ばれていた星の好きなおじさんがいた。1965年「イケヤ・セキ彗星」が出現した時には、私の助手として活躍した。彗星が10月中旬の太陽に接近した時には昼間の事で観測できず、情報が全く途絶えていた。このころ、幸一ちゃんは、”国策ハイヤー”の中古を利用して、幌に13cmのコメットシーカーを積んで移動式天文台として活用していた。そして山に海岸にホウキ星を求めて走り回った。

 イケヤ・セキ彗星が太陽に大接近する日、NHKでは早朝の特別番組を組んだ。発見地の静岡放送局と高知放送局とをつなぎ、更に上野の科学博物館が入って3元放送をおこなった。そのころイケヤ・セキ彗星は時々刻々と太陽に突入して、いつ爆発消滅してもおかしくない状況にあった。時刻は今まさに突入中である。誰にも真相は分からなかった。

 この時、突然人力車が彗星の如く局に突入してきた。「お伝えください!イケヤ・セキ彗星は無事太陽面を通過中です!」と。ハワイでは、その半日前にバラバラになって消滅したことが報道されていた後だけに、これは大ニュースであった。全国の多くの人がこの幸一ちゃんの、命がけの観測結果を聞いたのである。
 
 太陽のそばの天体を観測することは極めて危険がともなう。下手をすれば、ものすごい太陽の光熱で眼を焼いてしまう。発明家でもあった彼は、特殊な投影法で、見事世界でただ一人、太陽面を通過していく彗星を眼視で確認したのである。

(写真は国策ハイヤーを利用した移動式天文台。目的地につくと、幌の中から観測した。)
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