芸西の天文台まで40kmの道路を走るとき、香我美町岸本の海岸を通る。そして海側の砂地に奇妙な銅像が立っているのを目にする。昔から気が付いていたが「無人島長平の墓」という変わった看板が国道に掲げてあるので、何かある、と思って立ち寄ってみた。
国道55号線わきの立派な銅像である。地元の方たちが建てたらしい。なんでも今から234年前の1785年、野村長平は小舟に乗っていて南にながされた。有名なジョン・万次郎より50年早く、土佐から250kmも南に位置する同じ鳥島に流れ着いたという。無人島の鳥島で暮らすこと13年、後から流れ着いてきた仲間と流木で筏を作り故郷を目指した。そして筆舌では尽くされない苦労を重ねて、奇跡的に故郷の海岸にたどり着いたという。
手漕ぎの船で、いったい何ヶ月かかってか帰ってきたのか?その間、嵐に遭遇したかもしれない。そして食料は? 無人島には何もないはずである。ジョン万次郎はアホウドリを捕まえて食べていたという。多くの疑問が残るが、これは驚くべき事実であろう。銅像の下には苔むした長平の墓も眠っている。ただ唖然として眺めていたら、背後の高架を電車が、あたかも笑うように速い速度で通過して行った。


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国道55号線わきの立派な銅像である。地元の方たちが建てたらしい。なんでも今から234年前の1785年、野村長平は小舟に乗っていて南にながされた。有名なジョン・万次郎より50年早く、土佐から250kmも南に位置する同じ鳥島に流れ着いたという。無人島の鳥島で暮らすこと13年、後から流れ着いてきた仲間と流木で筏を作り故郷を目指した。そして筆舌では尽くされない苦労を重ねて、奇跡的に故郷の海岸にたどり着いたという。
手漕ぎの船で、いったい何ヶ月かかってか帰ってきたのか?その間、嵐に遭遇したかもしれない。そして食料は? 無人島には何もないはずである。ジョン万次郎はアホウドリを捕まえて食べていたという。多くの疑問が残るが、これは驚くべき事実であろう。銅像の下には苔むした長平の墓も眠っている。ただ唖然として眺めていたら、背後の高架を電車が、あたかも笑うように速い速度で通過して行った。


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