私が、二つ目のホウキ星を発見した1962年頃であった。RKC高知放送局から連絡があって”新春天文放談会”をテレビでやりたいので、人を集めてほしい、という連絡があった。そこで登場したのが、古くから高知県土佐市で活躍する「幸一ちゃん」と、五台山竹林寺の若き僧侶、山本龍雄氏と私の”天文三人組”であった。

 放送では、高知県の天文の歴史や、天体の観測の仕方や、さてはホウキボシの発見の隠れたエピソードまで出たが、実はこの番組を見ていた高知新聞学芸部のH記者は、この話が新聞に連載できないか、と思って私に連絡してきた。そこで早速この計画が実現し、高知新聞の学芸欄に「星空への招待」と題して40日間に渡って連載されることになった。
 
 連載が始まると意外な反響があった。読者から多くの電話がかかったり、社内の記者たちが、翌日の物語の展開について、編集部に次の原稿を見に来るようにな騒ぎとなった。そこでH記者は、その企画を”成功”と見たのであった。40日目の連載終了日にたまたま「イケヤ・セキ彗星」の発見があり、最後を華やかに締めくくることができた。

 この連載が「未知の星を求めて」と改題して出版されたのは翌1966年の事であった。全くの素人が書いた本であるが、意外な反響があった。外国にも飛び火して、英字出版の話も持ち上がった。読売新聞の書評で知ったというアメリカ在住の許斐さんは全文を英訳した。キューバで”イケヤ・セキ彗星の曲”が作曲されたのも、こういったいきさつがあったからであろう。
 さて次回は、この本と、不思議な少女の物語である。
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