ここは明治大正の昔には阪神方面への船出の場所として栄えたところです。宿場町として宿屋も多くあったそうですが、今は名残の水路が流れているだけです。しかし桜の名所としてはピカイチです。

 満開の桜が連なる風景の水面を、静かに小舟が進んでいく光景は、さながら和製ベネチアの水の都というところでしょうか。桜も丁度今が見ごろで、川辺の堤には昼のひと時花見を楽しむ一家の姿も多くあります。

 川辺では終戦後の数年、戦火を免れた映画館がいち早く復旧し、にぎわいました。なんと言ってもアメリカ映画の西部劇が人気で、娯楽を求める市民でごったがえしました。ある会社の大きな倉庫を、急遽映画館に改造し、生き残りの映写機が持ち込まれて映画館に早変わりしました。私もその観客のひとりでしたが、今でもその古い倉庫は残っています。

 山内一豊公24万石の城下町は、農人町のほかに、鷹匠町、奉公人町、鉄砲町、通町、水道町、等の懐かしい町名が残っていましたが、新しい都市計画によって次々と消えて行ったのは残念なことです。由緒ある歴史が消えた。ちなみに私の生まれた場所は、高知市通町2丁目31で、1961年にセキ彗星を発見した時には、この町名で通用していました。先日鏡川の近くを歩いているとき「南奉公人町掲示板」の古い看板が残っていて、懐かしく思いました。

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