1980年、東京の五藤斎三氏によって寄贈された芸西天文台の60cmニュートン式反射望遠鏡は、今から10年ほど前にその任務を終えて引退しました。
東京・府中市の五藤光学では社長の出身地の高知県で天文教育に役立てようと、多くの学者やこの道の専門家、そして主な使い手の私までも工場に招いて、良い望遠鏡つくりに専念しました。
観測者が出来るだけ楽に、そ
して成果が挙がるようにと小さな部品の一つひとつにまで気を配り努力しました。主任設計者の望月さんは世界中の望遠鏡のカタログを取り寄せて設計しました。どこかのメーカーがやるような手抜き工事なんかもってのほか。真に天文学への貢献を願って製作したのです。

最初は見ることが主体の、カセグレン式に決まっていた設計を、ニュートン
式の60cm主鏡で撮影するように変更を願ったのは私でした。これによって60cm鏡が最高の暗い星まで撮影して、多くの発見に寄与すると考えたのです。
しかし30年の歳月の中に世界は変化しました。すべてがデジタル化しCCDになって従来の望遠鏡は時代遅れになり、かつ機械も老朽化して引退を余儀なくさせられたのです。多くの小惑星や彗星の検出、そして位置観測に貢献した60cmは身売りをして無縁のレバノンに行くことになりました。遠い中東の地に行っていったい何を見るのか?これを使用する彼らは芸西での活動の事は恐らく知らないでしょう。
我々として、この謂れの有る望遠鏡を、どこか近
い場所に置いて高知県の天文学の歴史を伝える資料として欲しかったのですが、様々な事情もあり、また県と科学は無縁のこと、計画は事務的に何のためらいもなく実行されていきました。

写真は60cmで最後に撮ったオリオン星座のM42で、美しい映像は優秀な
60cm鏡の証です。
そして決別の花です。

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