それは1945年の終戦後初めてやってきた冬の夜の事でした。
母が「知り合いの家に行きたいが物騒なので一緒にいってほしい」と私に言いました。
まだ中学生だった私は母と寄り添って2kmくらい
離れた知り合いの家に歩いて行きました。
戦時中からの大変な貧困と食糧難。8月15日の終戦を境にして社会の秩序は大きく乱れ、世には強盗が横行していました。

「中の橋通り」という、今では繁華な商店の多い街並みですが、当時は
人っ子一人いない寂しい夕闇の町を北に歩き、土讃線の踏切を渡っていると急に母が立ち止まって、「あれは一体何なの!?」と叫びました。
母の指さす東南の地平線を見ると、まるでお化けのような血塗られた感じの赤い大きな月が登っているのです。よく「盆のような月が、、、、」と言いますが、それは盥のような月。あまりの大きさと赤さに私たちは、暫く呆然として見ていました。

それから40年経って、1982年12月30日に皆既月食が起こりました。芸西では
60cmの主鏡でこれを観測し撮影したのですが、皆既中の月の赤さに、ふと(終戦の年に見た赤い月は、月食中の月ではなかったか)と、思いました。

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