1910年以来、76年振りに回帰したハレー彗星を国内で最初にキャッチした事は、60cm反射望遠鏡の最大の成果でした。
しかし残念なことに、望遠鏡を贈った五藤氏はその回帰を待たずに前年に帰らぬ人となったのです。誠に残念なことでした。
しかしこの時、留子夫人が立ち上がりました。
「私は五藤の為にハレー彗星を観測したいと思います。五藤と私はいつも行動を共にしてきました。私がハレー彗星を観測するという事は五藤も見るということです。どうかご指導くださいませ」という事で、留子夫人は単身天文台に乗り込んで来ることになったのです。昔の土佐の女性は強かったですね。
こうして1986年の4月上旬、近日点を通って南下していくハレー彗星を芸西で観測したのです。留子夫人は、接眼筒にじっと両手をあわせて「あなた、只今ハレー彗星を観測しました」と祈り、天国の夫に報告しました。
留子夫人も若いころ高知県でハレー彗星を見たそうで、一生に二度見るという世界でも珍しい記録を打ち立てたわけです。
写真は私が滞在中の、東京都岡本の五藤家の庭で撮ったものです。
しかし残念なことに、望遠鏡を贈った五藤氏はその回帰を待たずに前年に帰らぬ人となったのです。誠に残念なことでした。
しかしこの時、留子夫人が立ち上がりました。
「私は五藤の為にハレー彗星を観測したいと思います。五藤と私はいつも行動を共にしてきました。私がハレー彗星を観測するという事は五藤も見るということです。どうかご指導くださいませ」という事で、留子夫人は単身天文台に乗り込んで来ることになったのです。昔の土佐の女性は強かったですね。
こうして1986年の4月上旬、近日点を通って南下していくハレー彗星を芸西で観測したのです。留子夫人は、接眼筒にじっと両手をあわせて「あなた、只今ハレー彗星を観測しました」と祈り、天国の夫に報告しました。
留子夫人も若いころ高知県でハレー彗星を見たそうで、一生に二度見るという世界でも珍しい記録を打ち立てたわけです。
写真は私が滞在中の、東京都岡本の五藤家の庭で撮ったものです。
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