私が天文学を始めた1948年には、ハレー彗星は太陽や地球から最も遠い遠日点の近くにありました。それからゆっくりと接近してきて、1986年には太陽に最も近い近日点を通りました。しかし実際にはその数年前からハレー彗星熱は大いに世界中で燃えあがっていました。
当時の四国の国鉄では、高松から高知市まで”ハレー彗星号”という特別列車を走らせました。そして私が各車両ごとに移動して、ハレー彗星に関する講演をしていきました。一方、土佐電鉄では高知港から大阪の南港までの定期航路に星に関心のあるお客さんを乗せ、甲板にコメットシーカーを据えて、私の案内で乗客にハレー彗星を見せました。彗星のスライドも上映し、講演もしました。
このころ大阪では素人ばかりの”ウェルカム ハレークラブ”が誕生し、総勢40名で南に去りゆくハレー彗星を追って、ニューカレドニアに観測に出かけました。チャーターしたフランス航空の飛行機はその名も”ハレー彗星号”でした。一般のお客さんも交えて、1986年の4月中旬に出発しました。赤道を南に越えるころ、夜行の飛行機の窓から、尾を引いたハレーが見えているという楽しい光景でした。このころのハレーは、日本から南天に低く辛うじて見える有名な”オメガ星団”のすぐ近くを飛んでいました。
(写真は1986年4月、ニューカレドニアの首都ヌーメアで撮ったハレー彗星とオメガ星団(右)のランデブー)


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当時の四国の国鉄では、高松から高知市まで”ハレー彗星号”という特別列車を走らせました。そして私が各車両ごとに移動して、ハレー彗星に関する講演をしていきました。一方、土佐電鉄では高知港から大阪の南港までの定期航路に星に関心のあるお客さんを乗せ、甲板にコメットシーカーを据えて、私の案内で乗客にハレー彗星を見せました。彗星のスライドも上映し、講演もしました。
このころ大阪では素人ばかりの”ウェルカム ハレークラブ”が誕生し、総勢40名で南に去りゆくハレー彗星を追って、ニューカレドニアに観測に出かけました。チャーターしたフランス航空の飛行機はその名も”ハレー彗星号”でした。一般のお客さんも交えて、1986年の4月中旬に出発しました。赤道を南に越えるころ、夜行の飛行機の窓から、尾を引いたハレーが見えているという楽しい光景でした。このころのハレーは、日本から南天に低く辛うじて見える有名な”オメガ星団”のすぐ近くを飛んでいました。
(写真は1986年4月、ニューカレドニアの首都ヌーメアで撮ったハレー彗星とオメガ星団(右)のランデブー)

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