1910年(明治43年)に帰還したハレー彗星は、その年の5月中旬に地球に大接近するということで、当時大袈裟に宣伝された。当時の東京朝日新聞に次のような広告が出ていた。(五藤光学研究所提供)「ハレー彗星がぶつかる。地球はどうなる。そして人間は?はやく”ゼム”を飲め。たった一錠。それによって、あなたはハレー彗星衝突の恐怖から逃れられる」
 ゼムとは実在の精神安定剤であった。

 一旦ことあれば、こんな宣伝は何時の世でもあたりまえのことだが、少しオーバーな広告として防毒マスクの宣伝記事があった。1910年の5月中旬、地球はハレー彗星の尾の中を潜ることになっていた。ところが彗星は有毒な青酸ガスを噴射していると言うので、これが地球の大気に混入すると人類は絶滅するというのである。こんな恐ろしい話は他にない。
 
 さらに馬鹿げた広告として、落下傘を使用する事を勧めている。もし彗星との衝突によって地球が崩壊したとしても、落下傘で降下すれば安全だというふれこみである。明治時代とはいえ、まるで世が天動説の時代に帰ったような愚かさである。外国では、地球がひっくり返っても、潜水艦の中なら安全だという事で乗船の切符まで発売されたという話もある。

 ハレー彗星は確かに1910年の5月に太陽面を通過し、その時、尾はこちらに向かって地球を包んだ。しかし実際に何も起こらず、晴れた空が僅かに暗く黄ばんで見えたという報告がある。明治30年生まれの父は、この日の朝、東方にハレーを見た。明の明星(金星)が輝き、夜が明けても尾は頭上を越して遥か西の空に消えていたという。最長110度の長さの尾であったという記録がある。

(写真はパリのセーヌ川の上に輝く白昼のハレー彗星。1759年)

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