私の祖父”丑郎”は大の子供好きであった。母の父親であるが、道路を挟んだ北側の家に住でいた。私たち兄弟は、幼いころ、よくおとぎ話を聞きに祖父の住まいに通った。今の子はケータイやタブレットに夢中で、自室に閉じこもってわき目もふらないが、昔は親や祖父たちと同じ部屋にいて親密な交流があった。そして昔の出来事や大切な家の歴史を聞いた。そして多くの知識を得たのである。
祖父は明治も初期の生まれで、日本の昔話を知っていた。暇さえあれば通って、祖父独得の”講談”を聞いた。曽我兄弟や岩見重太郎の仇討のはなし。忠臣蔵のお話に胸をときめかせ、さては”阿波の徳島十郎兵衛”と盲目の娘、おつるとの哀話に涙したものである。
ところが妙な実話があった。明治37〜8年の日露戦争が終わっての数年後、祖父が住んでいた土佐市高岡町で強盗殺人事件があった。ある晩に2人組の悪漢が侵入し、豪農の一家8人が殺傷された。犯人は挙がらず事件は迷宮入りとなったが、「その晩は夜空に不気味なホウキ星が二つ光っていた」という証言があったという。彗星は悪の前兆である。それは明治42年頃の出来事で、ホウキ星というのは一つはハレー彗星であった可能性が高い。しかし、もう一つは?
余談になるが、子供のころ夏には良く”涼み台”を持ち出して家の前の道路に並べ、近所の老若男女たちがウチワで涼みながら、お年寄りたちの昔話を聞いたものである。市内で蜃気楼を見た話も出た。祖先が上町の銭湯で龍馬を見かけた話もでた。そして貴重な町での出来事や歴史が、代々伝わっていったのである。
ある晩、西の空に”ホウキ星”が忽然として現れ、見事な尾をひいていた。このころは市内でアンドロメダの銀河も肉眼で良く見えていた。話題は突然星の話になって弾んだ。いま思えばそれは1957年のムルコス彗星(C/1957 P1)ではなかったかと思うが、有名な”アラン・ロラン彗星”の後に続けて出たもので、明るく結構話題となった。
(写真は16世紀末、ヨーロッパでの戦争の様子で、ホウキ星の出現は戦争や災厄の前兆とされていた。無数に舞う彗星とひっくり返った半月。彗星は刀剣にイメージされた)


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祖父は明治も初期の生まれで、日本の昔話を知っていた。暇さえあれば通って、祖父独得の”講談”を聞いた。曽我兄弟や岩見重太郎の仇討のはなし。忠臣蔵のお話に胸をときめかせ、さては”阿波の徳島十郎兵衛”と盲目の娘、おつるとの哀話に涙したものである。
ところが妙な実話があった。明治37〜8年の日露戦争が終わっての数年後、祖父が住んでいた土佐市高岡町で強盗殺人事件があった。ある晩に2人組の悪漢が侵入し、豪農の一家8人が殺傷された。犯人は挙がらず事件は迷宮入りとなったが、「その晩は夜空に不気味なホウキ星が二つ光っていた」という証言があったという。彗星は悪の前兆である。それは明治42年頃の出来事で、ホウキ星というのは一つはハレー彗星であった可能性が高い。しかし、もう一つは?
余談になるが、子供のころ夏には良く”涼み台”を持ち出して家の前の道路に並べ、近所の老若男女たちがウチワで涼みながら、お年寄りたちの昔話を聞いたものである。市内で蜃気楼を見た話も出た。祖先が上町の銭湯で龍馬を見かけた話もでた。そして貴重な町での出来事や歴史が、代々伝わっていったのである。
ある晩、西の空に”ホウキ星”が忽然として現れ、見事な尾をひいていた。このころは市内でアンドロメダの銀河も肉眼で良く見えていた。話題は突然星の話になって弾んだ。いま思えばそれは1957年のムルコス彗星(C/1957 P1)ではなかったかと思うが、有名な”アラン・ロラン彗星”の後に続けて出たもので、明るく結構話題となった。
(写真は16世紀末、ヨーロッパでの戦争の様子で、ホウキ星の出現は戦争や災厄の前兆とされていた。無数に舞う彗星とひっくり返った半月。彗星は刀剣にイメージされた)

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