1986年に接近したハレー彗星は、期待するほどの大物ではなかったが、北半球から接近し、赤道を南にまたいでの飛行で、結構世界の人々を喜ばせた。しかし、我々地球から遠かったので、その前の1910年のような雄大な尾は見られなかった。しかし多くのハレー彗星に関するエピソードを生んだ。
ハレー彗星は76年ごとに接近して来るので、人間が一生のうちで2度遭遇することは困難である。その2回見た人に芸西村の天文台を立ち上げた五藤斎三夫妻がいた。二人は若いころ高知県で明冶43年のハレー彗星を見た。実は芸西村に天文台を建てたのも、二回目のハレーとの対面を期待してのことがあったと思う。しかし彼はハレー彗星の接近を控えて、その前年に惜しくも逝去された。
1986年4月、留子夫人は立ち上がった。夫のために二度目のハレー彗星との対面を果たすべく故郷にやってきた。そして1週間滞在し、夫の造った望遠鏡で、ハレーとの対面を果たしたのである。
一方、私の父は子供のころハレー彗星を見た。しかし76年後の1986年の接近では老衰と病臥の床にあった。私は芸西天文台で撮影した雄大な写真を父に見せた。これで二度目の対面を果たしたのだ。父はその頃から老齢のために意識がもうろうとしていた。ところが意外にも鮮明な記憶を語った。
「ハレー彗星は最初新聞で"ハリ彗星”と出た。しかしその後”ハレー彗星”と訂正された」と76年昔の記憶を語り、驚かされた。当時の土陽新聞である。
(写真は1985年、Royal天文台Edinburghで撮影されたハレー彗星)


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ハレー彗星は76年ごとに接近して来るので、人間が一生のうちで2度遭遇することは困難である。その2回見た人に芸西村の天文台を立ち上げた五藤斎三夫妻がいた。二人は若いころ高知県で明冶43年のハレー彗星を見た。実は芸西村に天文台を建てたのも、二回目のハレーとの対面を期待してのことがあったと思う。しかし彼はハレー彗星の接近を控えて、その前年に惜しくも逝去された。
1986年4月、留子夫人は立ち上がった。夫のために二度目のハレー彗星との対面を果たすべく故郷にやってきた。そして1週間滞在し、夫の造った望遠鏡で、ハレーとの対面を果たしたのである。
一方、私の父は子供のころハレー彗星を見た。しかし76年後の1986年の接近では老衰と病臥の床にあった。私は芸西天文台で撮影した雄大な写真を父に見せた。これで二度目の対面を果たしたのだ。父はその頃から老齢のために意識がもうろうとしていた。ところが意外にも鮮明な記憶を語った。
「ハレー彗星は最初新聞で"ハリ彗星”と出た。しかしその後”ハレー彗星”と訂正された」と76年昔の記憶を語り、驚かされた。当時の土陽新聞である。
(写真は1985年、Royal天文台Edinburghで撮影されたハレー彗星)

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