明治43年の事ですが、ハレー彗星が太陽面を通過し、尾がこちらに靡いて地球が包まれるという事で世間は大騒ぎになりました。当日は良く晴れ、町のあちらでもこちらでも、イブシガラスで太陽を見上げています。そんな時たまたま通りかかった老婆が彗星を水仙と間違えて「スイセンとやらは出ましたかね」と声をかけます。下はその時の東京朝日新聞の挿絵です。彗星と言っても、当時は一般的にはその正体が分からなかったと思います。

 一方では、彗星接近の恐ろしさもそっちのけで「玉川晩春の景」と題して一齣のスケッチが出ています。一人の婦人が、頭上の彗星の恐怖なんかそっちのけで、玉川の岸辺で洗たくをしている呑気な光景です。ハレー彗星は世間の騒ぎをよそに、何事もなく旅立って行ったのです。このころの朝日新聞では、ハレーの事を「ハリー彗星」と書いています。

 最近、私のこうした文を見ていた福島県の藤井旭氏が、明治43年のハレー彗星の日面通過の際、彗星の黒い核の影を見た人がいたと報告してきました。しかし麻布の東京天文台では、口径20cmの屈折で太陽を投影して、一戸・小山・本田・小倉理学士らが一心に見つめたが、何も見えなかった、と言う記録が残っています。望遠鏡が小さすぎた? 当時は20cmが東京天文台の最大望遠鏡でした。

 一般には核は小さくて地上から観察できなかったことになっているのですが、1986年の接近の際、ヨーロッパから打ち上げられた彗星の探査機で、核の大きさも観測されたことになっています。果たして地上から見える大きさであったかどうか?彗星のコマは大きいが、中心核は極端に小さい事になっています。
(挿絵は1910年5月20日の東京朝日新聞より)

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