2017年07月

「ホンダ彗星」C/1955 O1が発見されたのは、日本時間の7月30日(今日)の午前4時でした。東南の空に低くオリオン星座が見えていました。実は私も上町の自宅の観測台で夜明け前のオリオンをじっと見つめていました。このころの本田さんは、旧、広島県瀬戸村の観測所で熱心に捜 ...

 これは旧暦の七夕のころ、涼み台で祖父(母の親)から聞いたお話です。火玉は良く流星と間違われますが、これは全く別もので、人魂は地面から出現するものです。しかし、次に登場するお話は現実なのか、単なる怪談なのか判断が尽きません。祖父は丑郎と言って、若いころは ...

 旧、東京天文台の彗星捜索儀が出たら、やはり「ブラッシャー写真儀」が登場せねばなりますまい。口径20cm(F5)の屈折式の天体カメラですが、東京天文台に在って戦前から戦後にかけて縦横無尽の活躍を見せました。戦前の麻布時代の天文台では、平山清次博士らが、沢山の小 ...

旧、東京天文台が三鷹市に新設された時、主砲の65cm屈折赤道儀と共に購入した不思議な望遠鏡があった。それは口径20cmの彗星捜索鏡であった。その望遠鏡は写真の如く、観測者の苦労を最小限度に抑えた、実に合理的に出来たコメットシーカーであった。大きいハンドルを回すこと ...

私の家から遥か南に「鷲尾山」が見える(写真1)。海抜300mの山であるが、小学生の頃はよく遠足で登った。頂上からの眺めは絶景で、南の眼下に浦戸湾が、そして遠くに名勝、桂浜の髣髴たるを望むことが出来る。実はこの鷲尾山、”関・ラインズ彗星”追跡の舞台となった山で ...

 「鉱石ラジオ」は私が小学生の頃流行したラジオ受信機である。屋根の上に高いアンテナを張り、遠い放送局からの電波を受信器に誘導する。鉱石はアンテナが受けた電波流を、片方しか通さないから、その性質を応用して音声を聞き分けることが出来た。電源は一切必要なく、微 ...

 小学生の頃は晴れた大空を見上げることが楽しかった。それは全国的に模型飛行機を作ることが大流行したからだ。そしてその大会もあった。ゴム動力の飛行機が上空を飛ぶ時間の長さを競うものであった。私も何回か参加した。飛行機の滞空時間は1分を越した。人気機種では飛 ...

あれは戦後間もなくの事だった。私たちの町内では、夏には門前の道路に涼み台を出して避暑を楽しむ習慣があった。当時は家の中にはこれと言う娯楽は無かった。冷房もない洞穴のような暗い座敷でラジオを楽しむくらいで、なんとなく開放的な気分を味わうために外に出た。あっ ...

一幅の書も残っていない書家の「関琴堂」、その正体は私にはしっかりとつかめませんでした。本名は「関光恵」と言った。「琴堂」とは書道の上での雅号で、他に「雪峰」という芸名も持っていたと言います。今から30年も前のことですが、風をこじらせて近くの総合病院にいきま ...

まだ気象台の発表はありませんが、四国地方は梅雨が明けて本格的な夏空がやってきました。これからの星空では天の川の綺麗な時期が続き、流星の多く見える季節を迎えます。都会に在って、天の川を見たことのない人も多いかと思いますが、山や海に行って、キャンプする人はぜ ...

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