夏休み最後の天文台での観測会です。親子連れが多く、約40人が集まりました。お話は土佐塾高校の岡崎講師です。始まったころは曇っていましたが、講話が終わってドームに入るころから次第に晴れてきました。今夜は旧暦の七夕の日で、ドームの真上に半月と青い織女星があ ...
2017年08月
南海大震災余談
1946年の南海大震災から71年が経ち、そろそろ次の地震が心配されています。約100年を周期としてやって来る南海地震は、平均で行けば後30年後、という事になります。しかし短い場合も起こりうることですから、常に万全の準備が必要です。前回は不幸なことに戦時中でした。国 ...
黒い太陽の影に
アメリカ大陸を横断する世紀の大日食は、各地で悲喜こもごも成功したようです。我々の芸西天文台でも松木、大庭の二人の講師が遠征して、幸い晴天に恵まれ、予定されていた観測スケジュールをこなしました。実は私も天文を始めるようになった動機の一つに、1948年の二つの ...
再び災厄の街に
1946年(昭和21年)12月、深夜の浦戸湾に漁に出たものの、何の収穫もなく家路につきました。車の無い時代で、都会からの明かりも貧しく、真っ暗な鏡川沿いの道をガスランプの明かりを頼りに歩きました。空は曇って星は見えていませんでした。上町の家に帰ったのは午前3時 ...
孕(はらみ)のジャン
1946年12月末、浦戸湾で起こった奇怪な出来事の続きをお話しなくてはなりませんが、実はそれより前に浦戸湾で起こった、もう一つの不可解な現象についてぜひ聞いていただかなくてはなりません。それは”孕のジャン”と呼ばれている不思議な現象です。瓢箪のような形をした ...
深夜の浦戸湾の怪
終戦からしばらくの間は強盗や、窃盗、更に殺人等の犯罪の横行する無秩序な時代が続きました。そして食糧難が深刻でした。主食の米も配給制で、大人が一日当たり2合3勺であったことを覚えています。当時はお米ばかり食べて副食品が少なかったので、足りなかったのです。そ ...
敗戦後の空白の時代
1945年8月15日に戦争が終結し、その約1ヶ月後に高知市の自宅に帰りました。しばらくの間は空襲を受けた家の片づけに追われました。敗戦後は大変な食糧難の日が続きましたが、農家の出身の父は工場の広い焼け跡に野菜を栽培し餓えをしのぎました。学徒動員の為、暫く休んでい ...
中の谷村の怪
終戦の翌日の8月16日、高知県の住吉海岸で起きた謎の事件について述べましたが、実はこの日もう一つの怪事件がありました。今年の8月16日、一家で仁淀川の源流地に近い「安居渓谷」に出かけました。伊野のインターに入る前に「中の谷橋」を通りました。そう!私たちが戦時 ...
終戦、翌日の怪事件
1945年8月16日、日本は連合軍の「ポツダム宣言」を受託して”無条件降伏”が成立したはずでした。しかし血気にはやった愛国心の強い青年将校たちは降伏を認めず、各地で連合軍相手に、テロ攻撃することを誓っていました。その一つの例として、第128震洋隊の奇怪な事件があ ...
終戦の日の一日
終戦の日の昭和20年8月15日、私たち学生は依然として本土防衛のための作業に従事していました。疎開先の米田に近い「荒倉峠」で、関東軍の指揮下にあって、山に横穴掘りの土木作業を行なっていました。しかしこの日は特別に高知市の比島に出張して作業するとかで、軍のトラ ...