2018年04月

 芭蕉の詠んだ俳句の中に天体を歌ったものがただひとつある。 「荒海や 佐渡に横たう 天の河」である。 何時の時代か、芭蕉が新潟県の出雲崎に立って詠んだ句だそうである。これから夏の天の川の絶好の鑑賞の時期に入るが、昔は電燈もなく空は暗く、日本海の上に輝く銀 ...

 戦時中、徳島県の空港から出た「白菊特攻隊」の資料展が徳島県の阿波市の開場で開かれていることを知り、一家で見学に出かけた。 会場は阿波市の役場の中にあり、特攻隊員の沢山の資料を集めて、世話人の大森順治さんが、熱心に説明していた。なんでも「白菊」とは徳島の ...

 ただならぬ物音におどろき、暗室から外に飛び出したものの、景色がまぶしくて暫くはなにも見えなかった。観測台のすぐ横の蔵の屋根では、もうもうと土煙が立ち上り、人がさわいでいる。二人のカメラマンが観測風景を撮影中に、突然瓦が崩れて屋根が抜けたという。まるで落 ...

「奇妙な天体望遠鏡」シリーズも、いよいよ最終です。今回は1965年に登場した”暗室望遠鏡”についてお話します。1965年10月21日、あの「イケヤ・セキ彗星」が太陽面に突入した時、強烈な太陽光線をさけて、いかにして観測するか、が大きな問題となりました。摂氏100万度と言 ...

 彗星を見つけ出す最高の望遠鏡は口径10cm内外の双眼鏡と位置付けられていました。しかし、私が始めた1950年代には、高価なことで、あまり口径の大きな双眼望遠鏡は買えませんでした。せいぜいで50mm15倍程度の卓上型の製品を買って捜索の真似ごとをやったものです。 日本 ...

 私の一番最初に自作して天体望遠鏡は、シーソータイプと呼ばれる奇妙な形をした反射望遠鏡でした。遊園地で見かける、子供が乗って遊ぶ道具からヒントを得て製作したものです。後の四角いボックスの中には、口径10cmの反射鏡が入っています。そして前のボックスには、反射 ...

「奇妙なコメットシーカー」を語るにあたって、”天文冒険家”たる、池幸一氏を外す訳には参りますまい。"幸一ちゃん”はツアイス製のコメットシーカーに異常なまでに興味を示し、東京天文台に度々その技術資料の提供を求めましたが、どこの”馬の骨”とも知れぬアマチュアに ...

 前にも一度お話しましたが、このツアイス製の奇妙な彗星捜索鏡を使って発見したのは、東京天文台の下保茂技官でした。1936年7月、彼は天文台の構内で変光星を観測中に、突然明るい彗星が視野の中に入ってきました。しかし発見者が複数で「下保・コジック・リス彗星」と命名 ...

 今回はドイツのツアイス社が製作した世にも奇妙なコメットシーカー(彗星捜索望遠鏡)について、お話します。写真はツアイス社のカタログに出た口径20cmの彗星捜索儀です。 彗星を眼視的に探すという作業は18世紀ごろから20世紀にかけて、世界的に流行しました。しかし全 ...

 若い女性が習いに来ていたころの自宅での教室がなつかしいですね。写真は天文台のある芸西村から通っていた、当時女子大生の公文さんです。1967年頃で、その頃小学館の「少年サンデー」誌が取材にきて、彼女がギターレッスン中のモデルになってくれました。 取材は佐伯さ ...

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