2019年06月

 私の祖父”丑郎”は大の子供好きであった。母の父親であるが、道路を挟んだ北側の家に住でいた。私たち兄弟は、幼いころ、よくおとぎ話を聞きに祖父の住まいに通った。今の子はケータイやタブレットに夢中で、自室に閉じこもってわき目もふらないが、昔は親や祖父たちと同 ...

 1910年(明治43年)に帰還したハレー彗星は、その年の5月中旬に地球に大接近するということで、当時大袈裟に宣伝された。当時の東京朝日新聞に次のような広告が出ていた。(五藤光学研究所提供)「ハレー彗星がぶつかる。地球はどうなる。そして人間は?はやく”ゼム”を飲 ...

 私が天文学を始めた1948年には、ハレー彗星は太陽や地球から最も遠い遠日点の近くにありました。それからゆっくりと接近してきて、1986年には太陽に最も近い近日点を通りました。しかし実際にはその数年前からハレー彗星熱は大いに世界中で燃えあがっていました。 当時の ...

 周期約5年で太陽を公転する同彗星は1948年の12月に発見された。日本の本田実さんと、当時のチェコ・スロヴァキアのムルコス・パジュサコヴァ夫妻による同時発見である。本田さんは15cmの反射望遠鏡を使っての発見で、本田氏から一歩遅れたムルコスとパ女史は、ソメト製の新 ...

 おもえば18歳の時、「本田彗星」に憧れて彗星の発見を志し、実際に成功したのは30歳の時でした。このころの夢は、この宇宙の中で自分の名の付く彗星を発見し、かつ自分で軌道を計算してみたい、ということでした。 1961年10月11日、獅子座に8等級の彗星を発見したのですが ...

 1986年頃だったでしょうか。観測のメモが失われて詳しい事はわかりませんが、私の写真アルバムに、正に天の北極点に佇む一つの彗星がありました。その頃、芸西の主力機であった60cm反射望遠鏡を向けました。正しい天の北極点でモータ—を停めて、10分間の静止撮影を行いま ...

 ”鏡川”は高知市の中心を流れる2級河川です。家のすぐ南を流れていて、子供のころから水泳や水遊びに親しんだやさしい流れです。遠くに見える森は「鎮守の森」で、氏神様を祭り、毎年6月30日には「輪ぬけ祭り」が行われます。小学生の頃は学校にプールが無く、体育の授業 ...

 1980年から30年間、芸西天文台で活動した口径60cmの反射望遠鏡は、一般公開のほかに太陽系の中の小惑星や彗星を発見するのが主な目的でした。比較的広い視野と集光力で18等位の星まで確実にキャッチしていきました。その30年間に発見したり位置観測した小惑星は1500個を超 ...

 梅雨はどこへ行ったのか?今日も快晴です。自宅の屋上に上がってみました。遠くに「鷲尾山」が綺麗に見えています。標高300mですが、山頂からは南にすぐ浦戸湾が広がっています。そして、その向こうは太平洋。 鷲尾山は高知市内の手ごろな山ですから、小学生のころよく遠 ...

 梅雨が目前に迫ったのか、昨日今日はお天気が大荒れに荒れました。強い風が吹き、突然の落雷もありました。しかし今夕は夕焼けが立ち込め、お天気は回復に向かいました。  二階の書斎の窓から、ふと南を見ると珍しく幻想的な虹が立ち上っています。虹の向こうは海がある ...

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