2019年07月

 先にお話した「スイフト・タットル彗星」は100年を優に超す長い周期を持っていますが、ここに登場する「ポン・ガンバート彗星」もこれと似た長周期の彗星です。フランスのコメットハンターのポンは1827年の6月20日に、カシオペア座に5〜6等級の明るい彗星を発見しました。 ...

 長かった梅雨もようやく明け、夏の天の川がやってきました。今は明るい彗星こそ見えませんが、7月の下旬から、そろそろペルセウス座の流星群が、活動を開始します。ピークは8月12−13日ですが、夜半過ぎの東北天に見られるペルセウス座から放出される流星に注目してくださ ...

「本田第4彗星」は、1955年の7月下旬にオリオン座の南に発見された。早暁4時の事で、位置は東南のエリダナスとの境界線付近である。光度は8等級で、尾はほとんど見えなかった。 それまでの本田さんは、15cmの反射望遠鏡や、10cmの双眼望遠鏡を使用していたが、今回は様子 ...

 静岡県の浜名湖の近くに住む池谷薫さんは反射鏡を研磨する珍しいコメットハンターである。発見する度に望遠鏡(全自作)を変えていくという面白い習性があった。「第2イケヤ彗星」を発見したのは、1964年の今頃(7月中旬)であった。 自分で研磨した口径15cmのイソゲナ( ...

 香川県高松市の沖の、瀬戸内海に浮かぶ大島の「青松園」は、昔からハンセン病患者を収容する施設であった。1961年の秋、一人の未知の患者から突然一通の手紙が届いた。山脇瞳さんと言う女性からだった。 なんでも彼女は中学生のころ、突然ハンセン病にかかり、この大島の ...

 明治時代に現れたハレ—彗星は、当時の文明開化のシンボルだったはずだ。しかし日ロ戦争の終わった後の日本では、まだ彗星を不吉の前兆として見る根強い迷信がはびこっていた。また悪質な業者がハレー彗星を利用して、さまざまな商品を巧みに宣伝して金もうけしようとした ...

 土佐24万石の最期の殿様、容堂公の望遠鏡で、天下のハレー彗星を見たのは大成功であった。そして今度はさらにこれで彗星の捜索を行い発見したらどんなものだろうと思った。この、想像してもぞくぞくするような彗星探しを、ハレーの去った夜空で実際におこなったのである。 ...

 土佐24万石の殿様、山内容堂公は酒と星を愛した。山内家に残る天体望遠鏡は容堂公が使ったものらしい。口径が6cmほどで鏡筒は漆塗りの美しい木製である。金属部はまばゆいばかりの真鍮製、多くのアイピースの中に、サングラスやムーングラスがあることを見ても、これが地上 ...

 明治43年の事ですが、ハレー彗星が太陽面を通過し、尾がこちらに靡いて地球が包まれるという事で世間は大騒ぎになりました。当日は良く晴れ、町のあちらでもこちらでも、イブシガラスで太陽を見上げています。そんな時たまたま通りかかった老婆が彗星を水仙と間違えて「ス ...

 ある日薬局に行っていたら「ゼム」という名の、何かの薬が置いてあるのに気づきました。「ゼム」??どこかで聞いたことのある薬だと思って、考えていたら浮かびました!それは1910年のハレー彗星の大接近の時、売り出された鎮静剤であったことが分かりました。「ハレー彗 ...

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