2020年07月

 ハレー彗星発見のニュースを聞いて、いち早く立ち上がった人の中に埼玉県に住む鈴木健夫さんがいた。もともとギタリストで、自宅でささやかな楽器店を経営していた。その鈴木さんが「ハレー彗星をフォークソングで歌いたいので、作詞してほしい」と言ってきた。関勉作詞、 ...

 1984年9月、芸西でハレー彗星”発見”の、烽火が挙がると全国的に意外な反響があった。アメリカのスカイ・アンド・テレスコープ社では、早速検出写真を送るように申し込んできた。マースデン博士のコメントも発表された。しかし、何より影響したのは東京に集まっていた報道 ...

 1986年3月、南半球の孤島イースター島を訪れて、あのモアイの下でハレー彗星の撮影を行なっていたら、「おーい!ハレー彗星を見ているかい。わっしらは千年も昔から何回もお目にかかっているのさ。わっはっは」と、叫んでいるような気がした。ハレ—彗星は76年の周期である ...

 ハレー彗星は紀元前から知られている大彗星である。太古の昔から長い尾を曳く沢山の姿が描かれているが、これが76年くらいの周期彗星であることが分かったのは、英国の天文学者「ハレー」が登場してからである。 1910年の回帰の時には、特に観測の条件が良く、世界的に注 ...

 深夜、芸西の天文台で独り観測を続けていると、どこからか水の滴り落ちる音がする。それだけに天文台周辺は静寂そのものである。そして午前3の”丑三つ時”になると、決まって入り口のドアの硝子戸に黒い影がサッと映る。怪談の多い夏の夜なんかは怖いので、音がしても決し ...

添付した写真は、芸西天文台が60cm反射望遠鏡時代にパトロール撮影した1枚である。時間を15分空けて上に20″移動させ、二重撮影したもので、視野は、対角線で2度あった。この写野の中に何か新天体(移動した彗星や小惑星)が存在しないか探すのである。 場所は衝(太陽の正 ...

 私の祖父、丑郎(母の親)は背が低く若いころから目が悪かった。本人は”鳥目”と言っていたが、昔の事で医者にもかからず、病名は不明だった。視力は0.005位で、夜は盲目同然だった。それでも勤勉な性格でよく働いた。 家に遊びに行くと、子供相手の講談を聞かせてくれた ...

 火玉は”人魂”とも呼ぶ。要するに死後の人間の燐が空中で発光する現象である。これには霊が潜んでいると言う!? 明治の昔にはこの「人魂」はよく見られたらしい。祖父、丑郎(うしろう)は子供の頃土佐市高岡町で火玉と遭遇した。自分の頭の上をかすめて通り、向こうの松 ...

 下の写真は私を中心にして、向かって右が村岡健治さん、左が門田健一さんである。お二人とも彗星研究の世界的な大家である。 高知市の中心部に昔から”村岡カメラ店”があって私も出入りしていた。門田さんも中学生のころから、撮影した天体写真の現像に出入りしていた。 ...

 日本で唯一の石鉄隕石と言われている隕石の奇怪な物語である。明治時代の冬の真夜中、高知県東部の香北町の上空に、突如として大音響とともに隕石が飛来した。当時の「土陽新聞」によると、そのただならぬ物凄い天変地異の様子が報じられている。「赫々の音天地を圧する」 ...

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