今から遠く1950年頃の出来事である。 晩秋の暮れなずむ西空に、夏の有名なさそり座が沈みかかっていた。すると紅いアンターレスのそばにこれも1等星くらいの紅い星が並んでいた。私は咄嗟に新星ではないか、と思った。なぜなら、その数日前にはそんな明るい星は無かったか ...
2020年10月
彗星の大冒険
1965年9月19日、静岡県の浜松と高知市で同時に発見した「イケヤ・セキ彗星」は、その1ヶ月後の10月21日、太陽面突入を図った。55年前の今日である。彗星は太陽面すれすれに半公転して、再び元来た故郷に帰っていくというもので“クロイツ群の彗星”と言われている。 太陽 ...
夕月の歌
小学校高学年の教科書の中に「夕月の歌」と題して短い詩が出ていた。幽かに暮れてきた夕焼けの残る丘の上に、爪で痕を付けたような三日月が、うっすらと輝いていた、というものであった。今回添付した写真の月は「二日月」であるが、夕焼けの町の空に幽かで美しい。三日月 ...
夕焼け空の幻想
突然、美しい夕焼け空が輝いた。よく蜃気楼が見えた三階の屋上である。夕焼の輝く20kmほどの西の町に、星の好きな友人O君がいた。中学からの友人で私が情熱的に彗星の発見を目指していた頃、彼は星を文学的に捉え、ギリシャ神話に興味をもっていた。よく手紙を書いた。「日 ...
彗星と魂の発見
1961年10月12日に発見した「関彗星1961T2]は、次第に地球に接近してきて肉眼でも見えるようになった。国内では1955年の本田彗星以来6年ぶりの発見であった。「彗星といえばホンダ。本田と言えば彗星」と言った具合に、彗星は本田さんで無いと発見出来ない特技の様なもの ...
わが人生の変わった日
1961年10月中旬、私の人生は変わった。それまでの苦難や焦燥は無く、落ち着いた人生を送ることになった。それは、かねてからの念願だった彗星発見という10余年来の目標に到達することが出来たからであった。 ”新しい彗星を発見したい”という事は少年時代からの夢であっ ...
ドノホウメダルの輝き
観測会の行われた冬の晩、山の天文台を歩いて降りたはずの台長が帰ってこぬという。関係者は慌てて天文台への山道を捜索すると、狭い道から5mほど下の谷に転落している建臣さんを発見し、大騒ぎとなった。お酒の好きな台長であったが氷点下5度の寒さの中で凍死状態であっ ...
クロムメリン彗星余話
1960年頃だった。佐川町に工場をもつ石灰製造の会社からギター教室の依頼があった。毎週、土曜日に佐川町の山の上の工場に行って、10人ほどの従業員を指導した。カルカッシの教えに基づくクラシックである。そのギタークラブの代表者が山崎建臣(たてうみ)さんと言って、 ...
コスモスの花と彗星発見
今頃の秋に咲き誇るコスモスは、私の最も好きな花の一つである。近所の長堤に咲くコスモスを写してみた。星のように一面に咲くのが良い。毎年、高岡郡佐川町に近い越知町で壮大な「コスモス祭り」が開催されていたが、今年はコロナウイルスの関係で中止になった。 1956年1 ...
クロムメリン彗星とオーロラ
クロムメリン彗星を発見した時、高知市の空が異常に明るかったことを報告すると、山本博士は「滋賀県でも夜空が異常に明るかった 。あれはオーロラだよ」と言って私を驚かした。 「えっ、オーロラが日本でも見えるのですか??」と質問すると博士は、「君も知っての通リ、 ...