2021年01月

 今から遠く明治時代の出来事である。東京麻布の井上四郎氏の家に仲間3人が集い、屋上の物干し台で天体観測に熱中していた。この中には、有名な天文詩人としての野尻抱影氏もいた。10cmの屈折望遠鏡をのぞいていた井上氏の友人が「あれっ!これは一体なんだ!?」と、頓狂な ...

 山本一清博士の主催する「彗星会議」は、その第二回目を高槻市真上880番地の古川麒一郎氏の宅で開催された。第1回目が1954年8月に開いているが、2回目は同年の11月に開催が決まった。これには過去45年ほども行方不明になっている18D/Perrine(ペライン彗星)の再発見への山 ...

 前回は謎の”黄道光”について述べたが、今回はさらに奇怪な「対日照」の話である。高知市の時代には、秋の朝方の黄道光は何とか見えたが、夜半に見える対日照にはまったく気がつかなかった。 1970年頃、高知市の私の観測所が安芸郡芸西村に移転してから偶然発見した。当 ...

 まだ少し早いですが、長い冬が去り早春の香が幽かに漂う頃になると、暮れたばかりの夕空に不思議な光芒が立ち上ります。黄道に沿ってピラミッド状に輝く光が”黄道光”と呼ばれています。 黄道光は、不思議なことに早春の夕空か、秋の明け方の東の空にしか見られません。 ...

 1970年頃から、高知市の自宅の物干し天文台では、夜空が明るくなって観測がやりにくくなってきました。小望遠鏡的な明るい彗星はすべて高知市上町の自宅での発見ですが、それよりさらに暗い彗星や小惑星の発見に挑戦するため、東に40kmほど離れた、芸西村に天文台を構えま ...

 1954年の8月の終わりだった。京都大学を退職してOAAを設立していた山本一清博士は、全国の彗星に関する学者や学究に呼び掛けて、戦後初の「彗星会議」なるものを開催した。 会議は委員会の形をとり、山本博士が自ら参加者を決めて招待状を出した。その中に若干23歳の、ま ...

 1990年10月15日、芸西の60cm反射望遠鏡で、くじら座で発見した16等級の小惑星である。芸西では同年11月10日まで追跡し、発見の二日後の10月17日に近日点を通過。近日点距離は2.23天文単位。離心率は0.057と小さく円軌道に近い。しかし軌道傾斜角は29度と小惑星としては異常 ...

 古きにさかのぼると、地動説を唱えたイタリアのガリレオの父「ビンセント ガリレイ」は、ギターと同系統のリュートの演奏者であった。1959年、有名なスペインのセゴヴィアが来日した時、大阪のフェスティバルホールでの演奏会の第一曲が、ガリレイのサルターレロという舞 ...

 近所を散歩していたら、赤い美しい「ナンテン」の葉が澄み切った青空をバックに、見事な景観を誇っていました。冬は美しい花を発見するのがなかなか難しいのですが、こうしたちっぽけな風景にも思わず足を止めて佇みます。 近所の児童公園の美しかった銀杏の葉もすっかり ...

 観測を続けるのか辞めるのか、がけっぷちに立たされた私ですが、やはり続けました。その頃の私にはそれしか人生での理想はなかったのです。そして、いたずらに”発見”を意識していた私の心は不思議と落ち着き、コメットシーカーに映し出される無類の美しい星空を鑑賞する ...

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