2021年04月

 日本には「天文3人組」というのが幾組もあって紹介してきたたが、外国の例では珍しい。写真は左からセカニア、ホイップル、マースデンのスミソニアン天文台の3学者である。車のバックナンバーに「Comets」と書いて走った。  セカニアは北欧出身の天文物理学者。ホイッ ...

 秘密の物置小屋は畳4畳半くらいの狭い部屋であった。薄暗くて様子が良くわからない。次第に眼が暗闇に慣れてくると、中の様子が見えてきた。 まず壁に、ある人物の肖像写真が貼ってあった。大正時代に撮影したものらしく、羽織、袴姿の男性は眼光が鋭く、新撰組の局長「 ...

 私の住んでいる上町は、昔は「通町」と言って、土佐24万石の城下町でした。奉公人町とか、鷹匠町、水道町といった懐かしい町名が、戦後も永く残っていました。 旧、築屋敷町を歩いていると、忠霊塔の陰に藩政時代の遺物が残っていました。石碑は「従是西六ノ丁場」と読め ...

 愛知県一色町の、小島信久さんの研磨した反射鏡は独特の切れ味があった。回転放物面という完全な放物面鏡は、画面の周辺にかなりのコマ収差が見られるものだが、私が彼から頂いた40cm鏡は、極めてよく出来ていたようで、コマ収差もほとんど目立たなかった。これ以上の尖鋭 ...

 1916年、ロシアのネウイミンによって発見された新周期彗星の25D/1916D1は、一回飛んで1926年に再発見された。周期は5年余りである。それから半世紀近く行方不明となったが、毎回アメリカや日本の神田茂氏によって発見のための捜索予報が発表された。 そのころ、愛知県一 ...

 写真は左から池谷薫、関勉、小島信久とならんだ”彗星三羽からす”である。1970年代に、愛知県で「彗星会議」があったころの記念写真と思われる。池谷さんと小島さんは彗星の発見者だけではなく、日本を代表する反射鏡の製作者でもあった。この時池谷さんから頂いた「池谷 ...

 新鋭のチェコ スロヴァキアのムルコスと、古豪の日本の本田氏が、同時に発見した新彗星がある。ムルコス.本田彗星(C/1953 G1)で、発見は1953年の今頃(4月15日)である。本田氏が倉敷で発見して天体の移動を確認待ちしているとき、コペンハーゲンから、ムルコス彗星の発 ...

 チェコ スロバキアの天文台から、コペンハーゲンの天文中央局経由で世界に発信された天文電報は、スカルナテ・プレソ天文台で、A.ムルコスが発見した新彗星を伝えるものであった。数字ばかりの暗号で発信された電報を解読した私は、愕然とした。それは、先に広瀬〜長谷川の ...

 1954年8月に本邦最初の「彗星会議」が開かれて、わずか3か月後の11月中旬に第二回目の会議が開催されることになった。場所は、高槻市の古川麒一郎氏のお宅であった。 山本博士は緊急の話し合いがある、という前触れであった。その一つはある財閥の寄付よって、口径100cm ...

 1952年2月、10等以下の暗い予報の出ていた24P/Schaumasse彗星が北天のおおぐま座で突然肉眼で見えだして驚倒した。まだ若像の彗星の観測者だった私は、所属する東亜天文学会の山本一清博士にその現象を報告した。同じころイギリスの大英天文協会でも、肉眼で観測した人が ...

↑このページのトップヘ