2021年07月

 日本で50年ぶりに開催されたオリンピックの入場式を見ていたら、少ないながら、南アフリカのコンゴ共和国の選手たちの入場行進をみた。この時私はふとコンゴ共和国のある方から手紙をもらったことをおもいだした。 内容は1965年11月、アフリカの空に輝いた「イケヤ・セキ ...

 そのころ(1980)年、私は芸西に完成したばかりの私設天文台の40cm反射望遠鏡(小島鏡)を使って、眼視的に彗星の捜索をおこなっていた。コメットシーカーにしてはやや大口径であるが、微細な彗星や星雲はよく見えた。本田さんは彗星の捜索には15cm以上はいらないと言った ...

 1976年3月中旬、芸西天文台の森の上に輝いた近年最美の彗星であるが、残念ながらモノクロの写真である。オリオンの大星雲を並べたのは、彗星の美しさを想像してもらうためだった。東の森に彗星があがってきた時、まるで森の中が燃えているように明るかった。 1744年3月、 ...

 九州の百武氏の発見した彗星である。ヴァイオレットの眼の覚めるような美しい色の彗星で、尾は長い時で北斗7星の長さに匹敵した。 発見者は二つの彗星を発見した後、50歳代の若さで逝去されたが、氏の愛用した口径15cmの双眼望遠鏡は今も香川県の「望遠鏡博物館」に展示さ ...

 古い家に住んでいた頃の昔は、「七夕」は旧暦の7月7日に祭ることが習慣だった。母にすすめられて庭に2本の竹を立て、なすびやキュウリなどのお供え物を添えて、短冊を飾った。今の暦の8月中旬ごろで、梅雨は完全にあけて、空には一面の星。夜風に願い事を書いた色とりどり ...

 AP-共同による、古い新聞記事を見ていたら、彗星と太陽が衝突した、という驚くべき事件を発見した。即ち1981年1月26日、アメリカの軍事衛星P78-1が、1981年1月26日に捉えたもので、大彗星が太陽の右「西?」から時速100キロの速度で侵入し、太陽とぶつかった(写真上)。 ...

 足摺岬に、国道56号線を走って向かうとき、突然広大な砂浜が展開する。小惑星の名にもなっている大岐の浜(Okinohama)である。ここまで来れば四国も最南端、足摺岬も近い。天下の名勝「桂浜」よりスケールが遙かに大きく、いつか見た東北の「ノビル海岸」に似ている。しか ...

 地方気象台での予報は「曇りまたは大雨」という予報であったが、明けてみると梅雨があがったか?と思うほどの綺麗な快晴になった。天気予報は昔から、”当たらぬもの”とされてきたが、B-29による高空からの観測や、気象衛星が回りだしても、正しい予報は難しいらしい。  ...

 1972年の、高知市桂浜における「第2回彗星会議」の終了後、全国から参加した有志が上町の「関観測所」に集結しました。全国から集まった天文家で、北から板垣さん、宇都宮さん、多胡さん、藤川さんらの顔が見えました。東京天文台の富田さんもいましたが、たまたま写ってい ...

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