昭和20年8月の終戦のころは炎天の晴れた日が続いた。毎日学徒動員としての作業に出かけていても、雨に降られた記憶は全くなかった。8月15日に、終戦を告げる”玉音放送”があったが、県下で働く兵隊たちの多くは知らなかった。普段と何ら変わらない軍事作業についていたのである。国を守る若い将校のなかには、たとえ敗戦になっても、日本を占領して来る連合軍に対して最後の総攻撃をかけよう、という機運が異常に高まっていたのである。

 その頃”人間魚雷”という、特攻部隊があった。”震洋隊”と称して全国に展開されていたが、高知県では須崎市に本部があって、実際の部隊は東の住吉海岸にあった。ところがこの部隊に、終戦翌日の8月16日、「我ガ敵南方洋上ニアリ ダイ101震洋隊 タダチニ出撃セヨ」との電報が来た。海岸に待機する200名からなる隊員は10隻の舟艇に沢山の爆薬を運んだ。そして次々に特攻隊員が乗り込んでいる最中に、突然の大爆発が起こったという。爆発は大規模で、人やボートが空高く舞い上がっていく様子が、遠くの村でも目撃された。こうして美しい海岸は一瞬にして一大修羅場と化した。

 事件から数十年たったある夏の日、私はこの現場を訪れた。美しい海岸は、事件の事を知らない若い海水浴客で賑わっていた。遠く沖を行く白い汽船がみえた。平和な光景である。私は松林を歩いた。すると国防色に塗られた古い壊れた台車が放置されていた。これは恐らく爆薬を運んだ軍の手押し車であろう。そして大破した舟艇の破片らしいものが散らばっていた。近くの築山には、隊員たちの記念碑があった。母国に向かって最後の敬礼をする隊士の姿の銅像が立っていた。

(当時の人間魚雷の姿を示す貴重な記録)

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