私の通っていた高知市上町の第四小学校は、一世紀半の永い伝統を誇る学校である。その校区に坂本龍馬の生誕地を持つ関係で、何かにつけて龍馬の業績が語られた。古い講堂の演台の上には有名な龍馬の大きな肖像画が掲げられ、校長は何かの式典の時には、龍馬の偉大さを語った。その古い講堂に隣接した運動場には高い銀杏の木がある。”龍馬のいる講堂と高い銀杏の木”これは第四小学校のシンボルだった。そして更に高い宇宙には”Daishi”という小惑星が輝いていて、宇宙を回っているのである。

 この伝統のある小学校に私が入ったのは1937年で、ナチスドイツによるオリンピック大会が開かれた翌年であった。幼少期には、あらゆる大病を患った私は、やっと学校に行けた、という感じで、1〜2年は授業について行けず、落ちこぼれた。担任は若い新卒の女の先生であったが、ただ叱りまくるだけで、前途への希望は全く見えなかった。

 ところが3年生になって模様は一変した。東の奈半利小学校から転任してきた若い男の先生だったが、理科の時間のお話が面白く、次第に先生のお話に傾倒していくようになった。先生が新しい昆虫の発見を目指し、石槌山系の深い山の中に入って行って数々の冒険をしながら活動する姿に憧れた。そして、そこにはいつの間にか、授業に熱中している自分自身の姿を発見するのだった。先生は「岡本」といった。師範学校を卒業して間もない若い先生であった。

 小学校の授業というものは、教科書を正しく教えると言う事は確かに大切である。そして先生の得意とする分野を情熱を持って語ることこそ、より大切で、必ずそれに感動して芽生えてくる子がいるはずである。私は、教科書で習ったことより、先生が余談として自分の経験からお話したことが印象に残り、社会に出た後も、役に立ったことが多かったのである。
 
 岡本先生は、山や海が好きで、よく私たちを連れて遠足に出かけた。山では珍しい昆虫類をつかまえたり、植物を採集して説明することを忘れなかった。海では汐の満ち干が月の引力によって起こることを説明した。野山では見つからなかった昆虫の新種が、第四小学校の校庭の片隅で発見され、全国的な話題になった。普段、熱心に研究しておればこそ、こうした奇跡が訪れるものである。
 しかし、この楽しい学園生活も長くは続かなかった。やがて恐ろしい運命が、私たちの背後から襲い掛かろうとしていたのである。

(写真は第四小学校のシンボル、古い講堂と今も残る銀杏の木)
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