私が生まれた頃は日中戦争のさなかであった。中国での盧溝橋事件に端を発した日中戦争は、果てしない大陸で拡大していった。これを危惧したアメリカは中国を援助し、やがてそれが世界戦争に発展して行く事は必至であった。学校でも次第に軍事教育が行われるようになり、国から各学校に配給される映画も、戦争映画が多くなった。講堂で無声映画が度々上映され、先生が活弁で活躍した。

 岡本先生には3年4年と習ったが、思えば平和な時代の最後の先生だった。4年生の3学期だった。岡本先生にもついに出征の赤紙が来て、中国大陸に行くことになった。最期の授業が行われたとき「先生はこれから上海に行きますが、きっと帰ってきて、またみなさんとお会いします。それまで元気に勉強していて下さい」という言葉を残して早春の校庭を歩いて去っていった。私たちは先生の後を追いかけて走った。先生の姿が門から消えると、地面に跪いて慟哭した。

 こうして多くの生徒たちに惜しまれつつ去って行った岡本先生であるが、二度と私たちの前に姿を現すことは無かったのである。

(写真は第四小学校時代の岡本先生)
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