私の本棚には一冊の古い天文学の本がある。岡本先生が出征するとき別れに戴いた本である。それにはあるいきさつがあった。
 昭和15年頃だったと思う。父の出身地である高知市外の米田の親戚で秋の神祭があって出かけた。帰りは遅くなって停留場までの2kmほどのあぜ道を提灯で照らしながら父と二人で歩いた。真っ暗闇の中にギイギイという水車の音が聞えだすともう電停は近い。
 その時、父が満天の星空を仰ぎ「ほら!三ツ星だよ」と叫んで指さした。なるほど三つの星が低い赤鬼山の上に行儀よく並ん輝いていた。空は星ばかりの物凄い星月夜だった。

 その翌日、学校に行って、そのことを受け持ちの岡本先生に話した。先生は流石オリオン星座を知っていて「オリオンは赤道のちょうど真上にあるので、世界中どこからでも見えるよ。外国では、戦争で知らない土地に行った兵士たちが、オリオン星座を見て遠い故郷を懐かしんだ、という話が残っている。僕も大陸に行ったらオリオンを見て君たちの事をきっと思い出そう」と言って笑われた。
 その数日後、岡本先生は、私の家を訪ねてきて母と別れの挨拶をした。その時「関君は星が好きだったね。この本をあげよう、よく読んで星の事を勉強したまえ」と言ってプレゼントしてくれたのである。岡本先生は出征の時、教え子の各家庭を訪ねて挨拶をした律儀な先生だった。
 本は東北大学の松隈健彦博士の書いた「天文学新話」という初心者向きの入門書だった。パロマー山の大反射望遠鏡が完成の途上にあって、そのことが大きく取り上げられてあった。正に天体観測の近代化の時代だった。
 この岡本先生から戴いた天文書は、私と天文とのまたとない良い出会いとなる筈であった。しかし人生とは奇なもので、私と星との本格的な出会いは、また別の機会(第二の出会い)からやってくるのである。ここが人生の妙なるところ。
 岡本先生の形見となった星の本は、今でも私の本棚に並んでいる。芸西天文台での子供たちの指導に役立っているのである。

(挿絵は米田のあぜ道で父と見たオリオンの三ツ星)
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