オーストラリアの加藤さんから60cm反射望遠鏡の写真と記事が送られてきました。五藤光学製のカセグレン式望遠鏡で、元、芸西で使用されていたものです。1965年の「イケヤ・セキ彗星」発見の後で、高知県出身の五藤斉三氏から、半分は私個人の観測用に、そして後半分は県下の天文教育用に役立たせて欲しい、という事で、会社からではなく五藤さん個人から贈られたものです。
 
 五藤さんは、当時、五藤光学の会長を務めていましたが、当時の工場長の寄贈反対もあって、個人が会社から買って、贈って下さったものです。時価6,000万円だったそうです。
 製作中は、五藤会長と設計者の望月さんに呼ばれて、どのような形にするか検討しました。どこまでも使用者の意見を重んずる姿勢は、その後のメーカーとは違うところでした。私は文句なしにF3.5という明るい鏡面と新天体発見のためにニュートン式の広い視野を希望しました。
 
 それらの私の希望が100パーセント認められて完成したのが、この60cmフオーク式天体写真儀でした。研磨には東北大学のこの道の専門家、吉田正太郎博士や、木辺成麿氏を呼んでテスト、万全を期しました。鏡材は気温による変化の少ない膨張係数ゼロと言われる真っ黒なセラミック材を使用。
赤道儀は望月氏が世界中の望遠鏡のカタログを集めて、完璧な設計を行いました。実に知恵の込んだ、至れり尽くせりの設計です。使う方もいい加減なことはできません。それに応えるべく、観測中は鉢巻きを締めた、いつも真剣勝負です。
 
 あれはたしか1981年の1月2日でした。まだ組み立ての途上にあって、電気もろくに入っていないドームの天窓を手動で開け、位置表示のない鏡筒を手で動かして、ファインダーを覗いて大体の位置を決め、めくらめっぽうの操作で、77P/ロングモア彗星を検出発見したことを思いだします。その後の多くの彗星検出の中でも特筆すべき重大な事件でした。観測は情熱です。そして馬力です。
 
 この望遠鏡で発見した小惑星(2621)にGotoと命名したのも、寄贈者への感謝の意です。その後のハレー彗星の国内最初の検出や、多くの小惑星の発見に費やしたのも、よその望遠鏡とはその意味が違っていたからです。
 今は、遠い異国(レバノン)に行った望遠鏡は、そのような事情とは関係なく、異国の星を映し続けて行く事でしょう。この60cmの鏡をテストした木辺氏は、ある日私に「君の所へ行っている鏡は、実によくできているよ。いままで500面ほどテストしてきたが、あのような優れたパラボラ鏡は見たことがない」と言ってくれました。そのような名鏡が今後どのような使われ方をするのか?単なる観望には惜しい逸材です。
 ああ、近代的な架台に載せて、もう一度芸西の空で、新天体を追いかけてみたいですね。

(写真はレバノンノートルダム大学で組み立てられた元、芸西の60cm反射望遠鏡)
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