今からざっと100年昔の珍しい出来事です。
私は散歩のコースにある鏡川のほとりにひっそりと立っている石碑の前で足を停めます。そこには「フランクチャンピオンの碑」と書かれた碑(お墓)があって、いつも地元の人が花壇に美しい花を飾っています。
「チャンピオン」とはアメリカの飛行士の事で、今では彼を知る人は少なくなっています。彼は1917年頃、日本にやってきました。そして日本の航空界に貢献する目的で、各地で曲芸飛行を披露して楽しませてくれました。まだ飛行機の珍しい時代で、飛行場はなく、ちょっとした広場が即席の飛行場となって、どこも黒山の人だかりとなりました。

高空ショーの最後が高知県でした。朝倉の若草町にあった第44連隊の練兵場(今
の高知大学のキャンパス内)で得意の曲芸飛行を見せました。宙返りに錐もみ、低空飛行に急上昇して再び宙返り、そしてエンジンを停めての「木の葉落とし」。再び上昇して高空を旋廻飛行。この様子は私の上町の自宅の屋上からも眺められました。
ところが飛行中に突然片翼が根元かポッキリと折れました。翼が空中をピラピラと舞っている時、機体は急速に落下して、近くの草むらに突っ込みました。チャンピオンは、落下するとき、観衆に向かって、危ないから避けるように、盛んに手を振りながら落ちたと言います。
救急車も自家用車も無い時代ですから、遺体はモッコにくるんで、人夫が前後、棒で担いで病院に向かいました。この途中で、上町の私の家の前を通りました。私の母はそれを見て、家に咲いていた菊の花を遺体に供えて拝んだといいます。時は晩秋でした。腕には落下した時のショックで草の跡が無数に刻まれていたそうです。
盛大な葬儀が主催者によって営まれました。数万の人が集まったといいます。

それから数十年の歳月が流れ、チャンピオンの孫娘から問い合わせがありました。
それはチャンピオンの最期について詳しく知りたい、という内容でした。高知新聞社の取材で、私は父から聞いたチャンピオン最後の様子を詳しく語りました。菊の花を捧げて冥福を祈った私の母の善意が、この時初めて遺族に伝えられました。それはチャンピオンの事故死から実に半世紀後の事でした。

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