1980年、芸西天文台が完成してから10年ほどたったある日、NHKで毎年恒例の”行く年くる年”で放送に参加した。12月31日の大晦日、ブエノスアイレスから、冒険家の植村さんがまず南極大陸に向かって船で出発した。続いて雪の千歳空港から、航空自衛隊機が今年最後の訓練飛行に飛び立った。飛行機は空中で年明けを迎えるのだ。そして芸西天文台では、12cmの双眼望遠鏡を使って、私がこの年最後の彗星捜索を開始した。自衛隊機より、はるかに高い星空で新年を迎えることになる。
それ一筋に生きるというか、目的は違っても三者がそれぞれの道に向かって賢明に努力するという事は同じである。
それとは関係ないが、その数年後に植村さんの出身地の兵庫県で講演会を持ったテーマは「池谷関星の冒険」である。彗星が摂氏100万度のコロナの中に突入して行くという大冒険を存分に語ったのである。
(写真は芸西で放送した、はらたいら氏と右に関)


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それ一筋に生きるというか、目的は違っても三者がそれぞれの道に向かって賢明に努力するという事は同じである。
それとは関係ないが、その数年後に植村さんの出身地の兵庫県で講演会を持ったテーマは「池谷関星の冒険」である。彗星が摂氏100万度のコロナの中に突入して行くという大冒険を存分に語ったのである。
(写真は芸西で放送した、はらたいら氏と右に関)


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