1962年2月4日、その頃の高知市の空は暗かった。22時ごろ”はりまや橋”の近くの音楽教室での仕事を終えた私は、市内電車に乗って西に向かい約10分で上町1丁目の電停でおりた。人影はなく私の歩く靴音のみが、狭い通路に反響した。

 遠く南の夜空に有名な鷲尾山が聳えているのがみえた。その上には冬の銀川が襲い掛かるように垂れていた。見事な星月夜だった。自宅にたどり着き中庭の観測台に駆け上がった。すごい星空。オリオンがシリウスが私を呼んでいる。私はひっそりと眠っているコメットシーカーにしがみつき、南天の星空を探求しはじめた。私にたたき起こされた望遠鏡は、「私の出番」とばかり、無類の美しい星を映し出し始めた。

 彗星を発見してやろうという意欲は全くなかった。この満天の星空に誘われて、冬の天の川の絶景を探求する、リラックスした気持ちでレンズを覗いたのである。彗星の発見は意識しすぎると絶対に現れない。無欲で純粋に星を見つめる時、忽然として現れるものである。
 その夜発見したのは、緯度がマイナス38度という真夜中の南天で、とも座の綺麗な散開星団の近く。8〜9等星の明るさで、幽かな尾が北に伸びていた。南側の、民家の屋根すれすれだった。

 報告を受けた倉敷天文台や東京天文台では、あまりの低さにてこずった。それでも倉敷では本田氏が観測に成功し、東京では下保茂技官が、有名な20cmのブラシャー天体写真儀で、撮影に成功した。遠くアメリカ、アリゾナ州の砂漠の中で同時発見者がいた。日本と正反対のアメリカで同時に発見された新彗星に「関・ラインズ彗星」1962 C1と言う名称が与えられた。

 彗星は間もなく、その年の4月1日に近日点を通過し、太陽に0.03天文単位と接近した。その後の1965年の「イケヤ・関彗星」の前哨戦でもあった。太陽の近くで異形な、明るい尾を変化させながら飛ぶ彗星の姿に学俗界は騒いだ。しかし当時はアマチュアで天体写真を撮る人は少なく、彗星の行動は密かであった。アメリカの「スカイ&テレスコープ」誌に太陽に接近した奇怪な姿の写真が発表された。

(発見当初、東京天文台で確認した頃の関・ラインズ彗星)

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