OAA(東亜天文学会)の機関紙「天界」の2020年1月号が先日届いた。OAAは今年創立100周年を迎えるので、当時の本部のあった、滋賀県で年会が予定されている。秋になるが大規模な会員たちの研究発表が見られると思う。学者による記念講演もある。

 1月号の表紙は天文学会の創立者だった故、山本一清博士が、自宅の天文台で46cmの反射望遠鏡を操作しているモノクロの写真である。この名鏡は私も1954年に、ここ山本天文台で「彗星会議」が開かれた時覗いたことがある。鏡面は”回転放物面”の、屈指の名鏡であった。故に、火星の運河まで見えたという説がある。

 この反射望遠鏡は元、山本先生が勤務していた京都大学に座っていた。大学で長い事研究に使用されたが、その後、山本先生が大学を退官するとき退職金代わりに譲り受け、現滋賀県大津市桐生のご自宅に据えた、との話が残っている。1950年頃には謎の多い火星が大接近し、会員の佐伯恒夫氏らが盛んに観測した。アメリカのローウエル等によって唱えられた”運河”の確認作業でもあった。OAAは戦前から熱心な会員による惑星の観測が盛んであった。

 1956〜57年になって、山本先生の46cm反射望遠鏡は、突然、静岡県沼津市の、ある宗教団体の施設に移された。そこでわずか2年ほど活動しただけで行き場を失った。山本先生が逝去されたあと、Sという岐阜県の元会員が望遠鏡のやりとりに携わったとの噂がある。主を失った望遠鏡は哀れであった。長い間、OAAの歴史と共に活躍してきたカルバーの名鏡は、今いずこにあって、星空を映しているのであろうか。

 ここまで来たとき、私はふと芸西の60cm反射鏡の事を聯想した。カルバー鏡と似た運命である。戦前、カルバー鏡をテストした木辺成磨氏は、反射鏡研磨の名人であった。46cmのカルバー鏡をテストした時、この優れた放物面鏡は人間技とは思われない、と激賞した。その後の奇縁から、彼は芸西の五藤光学製の60cm鏡を最終的にテストして仕上げた。「これは昔の46cmのカルバー鏡に匹敵する名鏡である」と褒め称えた。

 かって芸西の空にあって多くの天体を発見し、1984年には21等級の芸西の暗い星空で微細なハレー彗星の光芒を見分け(東洋最初観測)、存分に活躍した60cmの名鏡も、いまは中東のレバノンにある。果たして異郷の地でどんな星を映していくのか? 主人を失った名鏡カルバーの運命と似ているような気がしてならなかった。

(東亜天文学会の機関紙・天界・2020年1月号の表紙)
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