今から遠い昔の1970年に現れた「小島彗星」がありました。この小さな周期彗星が、いま国内で延々と続いている”彗星会議”の発端となりました。来たる6月の13−14日には記念すべき第50回大会が、高知市のオーテピアで開催されることになっています。

 小島信久さんは愛知県一色町に住むアマチュアの天文家でした。彼は反射鏡研磨の名人で、自分で研磨製作した反射望遠鏡で二つの彗星の発見に成功しました。その最初に発見した小島彗星(70P/Kojima)が、彗星会議開催の発端となったのです。それまでの彗星発見は殆んどが眼視で、アマチュアによる写真発見は珍しく、将来に向かって大きな希望を感じたためです。

 ネウイミン第二彗星(25D)は、1916年にSimeisで発見された11等級の5年余りの周期彗星でしたが、過去1916年と1925年の2回出現しただけでその後、45年間も消息を絶っていたのです。(一体どこへ雲隠れしたのだろう?)と、小島さんと私は互いに協力して、これを捜索することになりました。小島さんは自作の30cm鏡。私は同じく小島さんの磨いた21cm鏡でした。果たして45年も行方をくらました彗星が見つかるでしょうか?
 
 1970年の秋も深くなった10月半ばでした。小島さんから至急の電話がかかってきました。「彗星の予報位置の少し東に彗星らしい謎の光芒がある」というのです。実は私は小島さんと手分けをして予報の西側を捜索していたのです。早速東京天文台に連絡すると、彗星担当の冨田氏が「実は東京天文台でも捜索していたが、これはネウイミン第二彗星に間違いないだろう」と言う事で、早速国内の天文台に電報するとともに、スミソニアンにある国際天文電報中央局に打電しました。
 この電報を見た彗星研究の大家、神田茂氏は、もはや計算してみるまでもなく本物だ、という事で”ネウイミン・コジマ彗星”と勝手に命名して、国内向けに発表しました。これは彗星翁の長年の勘でした。
 ところが、思いがけない事実が待ち受けていたのです。

〈写真は大口径の反射鏡を研磨する小島氏:愛知県一色町の自宅にて)
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