先に述べた「小島彗星」発見が契機となって、始まった国内での「彗星会議」。その発起人は長谷川一郎、小島信久、関勉の三人であった。今日までの半世紀、一回の休みもなく続いたことは立派だと思う。第二回目は私の地元の天下の名勝「桂浜」で開催された。坂本龍馬の銅像の近くにある高台の「桂浜荘」である。
南には蒼茫たる太平洋を望み、北には浦戸湾が一望のもとに俯瞰でき、その景色の美しさと雄大さは正に絶品であった。ちょうど桂浜から種崎への「浦戸大橋」が建造中で、双方から工事が進められた。鉄の橋は、虹を描いて中央で10m位を余してドッキング寸前だった。その下を出船、入船の汽船がすれすれに通って行った。正にスリル満点の光景である。
会議では、それまでのアマチュアたちの独立した観測成果が、天文台のプロの指導によって正しく発展することが強調された。アマチュアたちにとって国立天文台は遠い雲の上の存在だった。それが参加した天文台の先生方によって、もっとアマ、プロが身近になって、お互いに協力して行く事が大切であるとの説得があった。
彗星会議の会場から見た浦戸大橋のドッキング寸前の光景。それは正に我々アマとプロとの力強い団結の象徴であるとともに、国内での彗星天文学発展のシンボルでもあったのである。
(写真は高知市での彗星会議のポスターで、目下参加者受付中。)


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南には蒼茫たる太平洋を望み、北には浦戸湾が一望のもとに俯瞰でき、その景色の美しさと雄大さは正に絶品であった。ちょうど桂浜から種崎への「浦戸大橋」が建造中で、双方から工事が進められた。鉄の橋は、虹を描いて中央で10m位を余してドッキング寸前だった。その下を出船、入船の汽船がすれすれに通って行った。正にスリル満点の光景である。
会議では、それまでのアマチュアたちの独立した観測成果が、天文台のプロの指導によって正しく発展することが強調された。アマチュアたちにとって国立天文台は遠い雲の上の存在だった。それが参加した天文台の先生方によって、もっとアマ、プロが身近になって、お互いに協力して行く事が大切であるとの説得があった。
彗星会議の会場から見た浦戸大橋のドッキング寸前の光景。それは正に我々アマとプロとの力強い団結の象徴であるとともに、国内での彗星天文学発展のシンボルでもあったのである。
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