芸西天文台の丘からの眺めです。お天気の良い日には青い太平洋の海が見えます。反射望遠鏡の入っている白いドームの周りには多くの雑木がありますが、6月になるとドームの片隅にある野生の「やまももの木」が赤い実をつけます。一つちぎって口に入れると、まだ酸っぱい味です。その甘酸っぱい味が、ふと遠い昔の戦時中の事を思い出させてくれました。
1945年(昭和20年)6月、まだ中学生だった私は戦時下、学徒動員という事で、本土防衛のために関東軍の指揮下、高知市の東部の介良で塹壕堀りを手伝っていました。主に山に横穴を掘るのは兵隊たちですが、それに必要な木材を担いで、山上に運びました。午前と午後一回ずつの作業でしたが、非常に過酷なもので、私たちは世界中どこを探しても、このような重労働はないだろう、と豪語しながら巨大な材木を運びました。
頂上に着くと、お昼を挟んでの2時間の休憩時間が自由な時間で、あそび盛りの私たちは山の峯を伝って、やまももの木に登って未熟な実をちぎったり、あるいは桑の紫色の実を食べたりして遊んでいたのです。しかし山頂から眺める室戸岬への海岸線は絶景でした。蒼茫たる海から音もなく波が打ち寄せ、敵前上陸の舟艇がやってきてここが戦場になるとは、とても思えませんでした。
空も碧く澄んで、ある日のお昼に、太陽から最大離角の頃の金星を作業員の一人が見つけて「すわ!敵の飛行機だ」とか、「風船爆弾に違いない」とか言って大騒ぎになりました。私たちが郡部で作業中、高知市ではB-29による空襲が良くありましたが、そんなある日、恐ろしい事件が起こったのです。
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1945年(昭和20年)6月、まだ中学生だった私は戦時下、学徒動員という事で、本土防衛のために関東軍の指揮下、高知市の東部の介良で塹壕堀りを手伝っていました。主に山に横穴を掘るのは兵隊たちですが、それに必要な木材を担いで、山上に運びました。午前と午後一回ずつの作業でしたが、非常に過酷なもので、私たちは世界中どこを探しても、このような重労働はないだろう、と豪語しながら巨大な材木を運びました。
頂上に着くと、お昼を挟んでの2時間の休憩時間が自由な時間で、あそび盛りの私たちは山の峯を伝って、やまももの木に登って未熟な実をちぎったり、あるいは桑の紫色の実を食べたりして遊んでいたのです。しかし山頂から眺める室戸岬への海岸線は絶景でした。蒼茫たる海から音もなく波が打ち寄せ、敵前上陸の舟艇がやってきてここが戦場になるとは、とても思えませんでした。
空も碧く澄んで、ある日のお昼に、太陽から最大離角の頃の金星を作業員の一人が見つけて「すわ!敵の飛行機だ」とか、「風船爆弾に違いない」とか言って大騒ぎになりました。私たちが郡部で作業中、高知市ではB-29による空襲が良くありましたが、そんなある日、恐ろしい事件が起こったのです。
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