1945年(終戦の年)の夏は好天の日が続きました。郡部に勤労奉仕に行っても雨にあった記憶がほとんどありませんでした。
確か6月の中旬でした。例によって高知市の東の介良の山で軍事作業をやっていると、B-29の爆音が響いてきました。音に敏感にになっていた我々はすぐ大空を仰ぎました。晴れ渡った空を、一機の爆撃機(B-29)が西の高知市の上空を南に飛行していました。すると突然分裂し、二つの火の玉となって落下しました。本州を爆撃したB-29が、南に遁走の途中で、松山飛行隊の「紫電改」の攻撃を受けて被弾したのです。機体は高知市の鷲尾山に墜落し、搭乗員は落下傘で降下し、日本の憲兵隊に捕らえられました。たまたま山に居た中学生二人が飛行機の下敷きになり、犠牲となりました。捕虜はその後広島市の捕虜収容所に送られましたが、間もなく、広島市への原爆投下によって犠牲になったそうで、遠い異国に来て命を落とす、なんと哀れなことだろうと少年の胸は痛みました。
しかし恐ろしい事件はそれだけではありませんでした。6月下旬、一機のB-29によって高知市が爆撃され、炎上している様子が山から眺められました。私たちはただワイワイと言って騒いでいたのですが、夕方になって、突然学校から私の所属する部隊に一通の電報が入りました。
「学生ノ家ニ焼夷弾ガ落チタノデ、至急帰宅セヨ」と言うものでした。私は愕然としました。すべてのものが真っ白に見えました。その中に、毎日お弁当を作って笑顔で送り出してくれた母の顔が浮かびました。

写真は1986年3月、バリ島で撮影した南の天の川の”宝石箱”付近。

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